メイン号沈没事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 06:11 UTC 版)
「サンチャゴ・デ・キューバ海戦」の記事における「メイン号沈没事件」の解説
「メイン (ACR-1)#メイン号爆発事件」を参照 1898年2月9日、駐米スペイン公使エンリケ・デュピュイ・デ・ロームがワシントンから本国のカナレハ自由民主党(当時、スペイン議会の野党)党首宛ての私信でマッキンレー大統領を誹謗していたことがニューヨーク・ジャーナル紙にスクープされた。両国の関係は悪化し、ロームは辞任に追い込まれた。 両国は融和と示威のため、相互に軍艦がキューバのハバナ港とアメリカのニューヨーク港に派遣されることとなった。 しかし、1898年2月15日、キューバのハバナ港を親善訪問していたアメリカ戦艦メイン号(艦長チャールズ・シグズビー大佐)が謎の爆沈をし、260名近い死者を出した。この中には石田音次郎、大江政吉ら6名の日本人が含まれており、当時従順によく働くボーイやコックとして重宝されていた日本人は2名だけが生還した。3月28日、事故調査委員会の報告を受けた大統領が外部からの機雷によるものであるとの報告を連邦議会へ送ると、マスコミに煽られた民衆はスペインによる工作であると決めつけ、戦争の機運が高まった。 一方のスペイン側も15日にカーボベルデから装甲巡洋艦ビスカヤを出港させてニューヨークを訪問させた。 1898年4月21日、アメリカ大統領マッキンリーは連邦議会の承認に基づき、キューバ独立運動を支援する名目でスペインに対して宣戦布告をした。スペイン側でも財務大臣プッチセルベールが1898年4月26日に対米戦を前提とした予算案を国会に提出して対応した。
※この「メイン号沈没事件」の解説は、「サンチャゴ・デ・キューバ海戦」の解説の一部です。
「メイン号沈没事件」を含む「サンチャゴ・デ・キューバ海戦」の記事については、「サンチャゴ・デ・キューバ海戦」の概要を参照ください。
- メイン号沈没事件のページへのリンク