ムガル帝国の捕虜として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 21:25 UTC 版)
「シャーフー」の記事における「ムガル帝国の捕虜として」の解説
この間、シャーフーはマラーター王国の一官僚バーラージー・ヴィシュヴァナートと連絡を取り合っている。このやりとりはムガル帝国を介さずにはできないものであり、シャーフーを何らかの形でマラーター側に対する切り札としようと試みたと考えられる。事実、1700年3月の伯父ラージャーラームの死後、その息子シヴァージー2世の母で摂政のターラー・バーイーの下、マラーターが反撃に乗り出してくると、アウラングゼーブは長年捕虜としてきたシャーフーを以てマラーターと講和しようとした。アウラングゼーブはシャーフーを占領した上でマラーター王に擁立ようと考え、そのために何度かマラーター側と交渉が行われたが、結果としてそれは実を結ばなかった。
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