ムガル帝国の侵攻と滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 14:38 UTC 版)
「アフマドナガル王国」の記事における「ムガル帝国の侵攻と滅亡」の解説
だが、そののちアフマドナガル王国は深刻な内部抗争と、ムガル帝国の侵攻にさらされることとなった。 16世紀末、ムガル帝国の軍勢が侵攻し、チャーンド・ビービーの抵抗もむなしく、1600年8月に首都アフマドナガルが陥落した。 その後、名将マリク・アンバルが首都をパリンダーに遷し、自身が宰相となって、帝国に抵抗を重ねた。そして、1626年にマリク・アンバルが死ぬまでにはその領土のほとんどを回復した。 だが、1633年にシャー・ジャハーンの軍勢に再び首都ダウラターバードを落とされた。その後、残存勢力の抵抗もむなしく、1636年には完全に滅ぼされ、その領土は帝国とビジャープル王国との間で2分された
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