ミラマックスの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:07 UTC 版)
「ハーヴェイ・ワインスタイン」の記事における「ミラマックスの発展」の解説
ワインスタインは1980年代にアートハウス映画を商業的および批評的に次々と成功させ、ミラマックスを徐々に大きくしていった。1988年にはランドール・デイル・アダムス(英語版)の冤罪事件を取り扱ったエロール・モリス(英語版)のドキュメンタリー映画『The Thin Blue Line』を公開し、社会的な注目を集めた。翌1989年にはスティーブン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』で成功を収め、アメリカで最も成功した独立系スタジオとして前進した。 また、1989年には『コックと泥棒、その妻と愛人』と『アタメ』がMPAAによってX指定を受け、全国的な公開は中止を余儀なくされた。ワインスタインはMPAAに抗議し、却下されたものの、その後これがきっかけでNC-17指定が新たに導入された。 ミラマックスはその後もさらに成長し続け、1993年に『クライング・ゲーム』が成功した後にはディズニーに8000万ドルで売却された。ワインスタインは売却後もミラマックスの社長として残留してハリウッドでの影響力を強固なものとした。1994年にはミラマックスにとって初めてのブロックバスター映画となるクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』が公開された。 1996年公開の『イングリッシュ・ペイシェント』ではミラマックスの作品としては初めてとなるアカデミー作品賞受賞を果たした。その後も、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)などの批評的に成功した作品を輩出し、ハーヴェイ自身も『恋におちたシェイクスピア』(1998年)のプロデュースによりアカデミー作品賞を受賞した。ミラマックス作品は2005年までに249個ものアカデミー賞ノミネートを獲得している。
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