ミヒェルヒェン、聖ミヒャエル礼拝堂
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「マールブルク」の記事における「ミヒェルヒェン、聖ミヒャエル礼拝堂」の解説
聖エリーザベト教会近くの旧墓地内に「ミヒェルヒェン」と呼ばれる小さな中世風の聖ミヒャエル礼拝堂がある。この礼拝堂は、聖エリーザベトの墓に詣でてマールブルクで亡くなった巡礼者や、聖エリーザベトの病院で亡くなった入院患者が最後の安息地とした墓地に「ドイツの家兄弟会」が1268年に建設したものである。教団聖職者は、聖エリーザベト教会と同様の祭式で臨終の秘蹟を授けた。この礼拝堂を訪れた人に発行される贖宥状は13世紀から知られていた。宗教改革の時代、ミヒェルヒェンは市の所有となった。必要な維持作業や管理が行われなくなり、ここは廃墟化していった。1583年以降やっと小屋組みの修復作業が行われ、新しい戸や窓が取り付けられ、説教壇や回廊風の2階席が設けられた。墓地の周囲の壁も新しくされた。現在この墓地は使われていない。現存する古い墓石は主に16世紀から18世紀のものである。ここではルネサンスの具象墓石から、バロックの銘文墓石を経て古典主義の墓石記念碑への美意識の推移がよく分かる。ミヒェルヒェンの最後の修復作業は2009年に完了した。現在、墓地は北部街区の人々にとって公園や憩いの場所となっている。
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