マールターンダ・ヴァルマの治世とオランダとの争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:21 UTC 版)
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マールターンダ・ヴァルマ(在位1729 - 1758)は即位と同時に、首都パドマナーバプラム近くのトリヴァンドラム(現ティルヴァナンタプラム)にある、ヴェーナード家の守護神ヴィシュヌを祭るパドマナーバ・スワーミー寺院の大改修を行い、1556年以降着工されていなかった門に、ヴィジャヤナガル・ナーヤカ様式を取り入れて5重の段階にした(次王の時代にはさらに2段加えられた)。 マールターンダ・ヴァルマは、行政の中央集権化を図り王権を強化し、オランダ勢力が当時この地域に進出してきたが、1741年8月10日にコラチュルの戦いでこれを破った(とはいえ、オランダとの争いは、1753年8月15日に和平条約が締結されるまで続いた)。 また、1750年、マールターンダ・ヴァルマは、ティルパディダーナムの儀式を行い、全ての領土を守護神に捧げ、自らは神の下僕として国を治めることとした。
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