マルクス主義と民族問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 05:12 UTC 版)
「国民的歴史学運動」の記事における「マルクス主義と民族問題」の解説
歴史学研究会はマルクス主義歴史学者を中心とした学術団体とされるが、そのマルクス主義歴史学者が依拠していたのは、ヨシフ・スターリンが1913年に発表した論文「マルクス主義と民族問題」で提出された、「民族とは近代の産物」という見解であった。 同論文でスターリンは、マルクス主義の発展段階論に基づき、近代資本主義の発達を通じて市場や言語、文化などに共通性が生じ、その後に「民族」が形成されると主張した。 この「民族」観が大幅な変更を見るのは、1950年6月に同じくスターリンがソビエト連邦共産党機関紙『プラウダ』で発表した論文「マルクス主義と言語学の諸問題」である(同論文は早くも8月日本共産党理論誌『前衛』に翻訳掲載)。そこでは近代的な「民族」は資本主義以降に形成されるが、その基盤である近代以前の「民族体」を重視すべきとした。 当時、既にコミンフォルムが「アメリカ帝国主義」と戦う民族独立闘争の強化を日本共産党に求めており、3月に「民主民族戦線綱領」を出していた所感派から成る地下指導部は、スターリンの新たな民族観を受け入れることとなる。石母田もこの転換に同調、9月30日に東京大学で開かれた民科のシンポジウムで、スターリンの民族論に関する報告を行い、民族観の転換を図ってゆく。
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