マラジョ島とは? わかりやすく解説

マラジョ‐とう〔‐タウ〕【マラジョ島】

読み方:まらじょとう

《Ilha de Marajó》ブラジル北部パラー州アマゾン川河口にある島。マラジョ湾を挟んで州都ベレン対岸位置する森林草原湿地覆われ平坦な土地広がり雨季にはその多く水没する草原地帯では牧畜が行われる。ホエザルリスザルなどのオマキザル仲間生息マラジョー島


マラジョ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 14:38 UTC 版)

アマゾン川河口付近。画面中央の大河(アマゾン川)と画面右下の大河(パラ川)に挟まれた部分がマラジョ島である。
マラジョ島の範囲(図中の文字表現はウクライナ語)

マラジョ島(マラジョとう、ポルトガル語: Ilha de Marajó)は、ブラジルアマゾン川河口にある島である。面積約4万平方キロメートル(九州を上回る)。最大自治体はブレーヴェス英語版

自然と産業

マラジョ島は北をアマゾン川、南をパラ川ポルトガル語版[1]にはさまれた巨大な中州で、四方を淡水に囲まれた島としては世界最大である。島の北東側は大西洋に面しているが、アマゾン川からの莫大な流量により沖合いまで淡水化されている。島の全域が低地で雨が多いため、熱帯雨林と湿地が広がる。マラジョ島を含むマラジョ諸島ポルトガル語版と一帯のマングローブ群は生物多様性に富んでおり、2018年にラムサール条約登録地となった[2]

島の産業としては、天然ゴムの採取と水牛の飼育がある。島内に大きな町はないが、パラ川の対岸に大都市ベレンがあり、これを介せば国内外との交通は不便ではない。豊かな自然を求めて観光客が訪れる。

歴史

マラジョ島には古くからインディオが住んでいた。その歴史の中に、400年頃から1300年頃まで栄えたマラジョ文化がある。マラジョ文化の遺物で特徴的なのはその彩色土器で、表面が、渦巻き形をともなう幾何学文様で覆われている。人々は墳墓を作り、大きな甕に死者を容れて葬った[3]

ヨーロッパ人による島の発見はアマゾン川発見と同時で1500年、スペイン人航海者ビセンテ・ヤニェス・ピンソンによる。後にポルトガルの勢力下に置かれ、その領土となった。1616年にポルトガル人は対岸にベレンを築き、しだいに島の開発にも手をのばした。

脚注

  1. ^ パラ川』 - コトバンク
  2. ^ Amazon Estuary and its Mangroves | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2018年6月13日). 2023年4月6日閲覧。
  3. ^ 井口欣也「アマゾニアとカリブ海地域の古代美術」、『先史美術と中南米美術』(世界美術大全集1)、小学館、1995年、232-233頁。

関連項目

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