マメ科植物の出土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 04:23 UTC 版)
約4000~4500年前の縄文時代中期の層から、アズキやツルマメの仲間などマメ類の炭化した種子68点が発掘されたことが、2012年6月20日に発表された。 これは、2009年から3年間、地元の考古学研究者らと岡谷市教育委員会が協力して、縄文時代中期のものと推定される市内の志平・目切・清水田・梨久保・上向の各遺跡から発掘された土器に残る圧痕や、目切遺跡住居址の炭化物を調査してわかったものである。長径約3~7ミリのマメが多数確認され、長野県内の縄文遺跡で多くのマメ科植物が検出された例はかつてないことであるという。ただしこれらのマメが栽培されたものであるかどうかは不明である。 従来、「縄文時代は農耕社会ではない」とされてきたのに対し、諏訪市出身の考古学者藤森栄一は「縄文農耕論」を提唱していたものの、その証拠はなかった。明治大学黒曜石研究センターの会田進客員教授(長野県考古学会長)は「今回の発見は縄文農耕論を立証するものとは言えない。しかし、見つかった種子の数も多く、除草などの管理をしていた可能性はある。縄文時代中期に主食となり得るマメの栽培化に向けて動き出し、農耕社会の入り口に入りつつあった可能性がある」と指摘している。
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