マムルーク朝およびオスマン帝国期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 19:04 UTC 版)
「アル=マグタス」の記事における「マムルーク朝およびオスマン帝国期」の解説
建造物群は何度も再建されたが、15世紀末までに最終的に打ち棄てられた。 13世紀には初期ビザンティン修道院の跡地の上に正教会の修道院が建てられたが、その活動がどのくらい続いていたのかは未詳である。ただ、この地への巡礼は衰退しており、1484年のある巡礼者の記録では、すでに廃墟となっていたことが報告されている。15世紀から19世紀には、巡礼者が訪れることはほとんどなくなっていた。東ローマ帝国期の隠者であるエジプトの聖マリアに献堂された小さな礼拝堂が19世紀に建てられたが、これも1927年の地震(1927 Jericho earthquake)で崩れてしまった。 20世紀初頭には、この地域のヨルダン川東岸地区には、農耕集落ができていた。
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