マディソン政権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 15:56 UTC 版)
「リチャード・ラッシュ (政治家)」の記事における「マディソン政権時代」の解説
ラッシュは比較的権限の小さい地位にあったが、1812年の米英戦争の際にマディソン大統領と親しい人物として国家機密に関する助言を行った。1814年、マディソン大統領はラッシュに対し財務長官と司法長官の職を提示し、ラッシュは司法長官への就任を受諾した。ラッシュは1817年3月まで司法長官を務めると、国務長官を辞任したジェームズ・モンローに代わって国務長官代理に指名された。ラッシュは同年10月まで国務長官代行を務め、五大湖の海軍力削減を目的としたラッシュ・バゴット協定の締結に貢献した。 1817年10月、ラッシュは国務長官に任命されたジョン・クィンシー・アダムズに替わって、駐英公使に指名された。ラッシュはイギリスにおいて紳士的な態度が評価され、好印象を残した。ラッシュは1818年条約(英語版)をはじめとする米英間の重要な条約締結に際して大きな活躍を果たし、8年にわたって公使を務めた。 1820年、大統領選挙において連邦党は大統領候補者を立てなかったが、ラッシュは連邦党の副大統領候補として選挙人投票で1票を獲得した。
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