マッカーシー議員との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:12 UTC 版)
「ジョセフ・P・ケネディ」の記事における「マッカーシー議員との関係」の解説
ジョーは共和党のジョセフ・マッカーシー上院議員と親しかった。二人の間にはアイリッシュという共通点があった。ジョーはマッカーシーを気に入り、1940年代から自宅によく招いていた。マッカーシーが1950年代に「赤狩り」で名をはせると、ジョーはマッカーシーに資金援助を行って公然とこれを支持した。ジョーは息子のボビーを上院政府活動委員会常設調査小委員会の主任弁護士にさせようとしたが、マッカーシーはロイ・コーンを主任弁護士としてボビーは補佐弁護士とした。マッカーシーのやり方が信用を失って1954年12月2日に上院で彼の問責決議が行われたとき、ジャックは民主党の上院議員として賛成票を投ずべき立場だったが、入院中ということで投票を放棄し、マッカーシーとの友情を守った。
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