マチャードとの出会い - 文学と政治
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「ジャン・カスー」の記事における「マチャードとの出会い - 文学と政治」の解説
アントニオ・マチャードらのスペイン文学運動「98年世代」をはじめとするスペイン文学に関心が深かったカスーにとって、1923年にミゲル・プリモ・デ・リベラ独裁政権が成立し、翌年、これを批判した作家ミゲル・デ・ウナムーノが政治犯としてフエルテベントゥラ島(カナリア諸島)に追放されたことは大きな衝撃であり、文学と政治・歴史との関係を考える最初の機会となった。ウナムーノを「精神的な父」として慕う彼は、『メルキュール・ド・フランス』誌上でフランス知識人にウナムーノ追放への抗議運動を呼びかけた。同年、ウナムーノはフランスに亡命し、同じフランス亡命者・移住者のピカソ、モディリアーニ、シャガールらと親交を深めた。ウナムーノと特に親しかったカスーは、彼の著書『キリスト教の苦悶』、『三つの模範小説と序』の仏語訳を出版した。
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