マエケナス庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:22 UTC 版)
「ガイウス・マエケナス」の記事における「マエケナス庭園」の解説
マエケナスは有名な庭園を設計し、1つ目はローマ市内のエスクィリヌスの丘とセルウィウス城壁 、ラミア(Lamia)の庭に近いネクロポリスに隣接した場所へヘレニズムおよびペルシア風の庭園を造園した。 マエケナスは庭園内にローマで初めて温水プールを建築したと言われている。マエケナス庭園は、ローマ文化を凝縮した書庫のような存在であったが、その庭園とティブル(現:ティヴォリ)に建てられた豪華な別荘はセネカの不快を買ったとされる。 マエケナス庭園があった場所はセルウィウス城壁の隆起の両側とポルタ・エスクィリナの南北のいずれかとされているが、庭園の正確な位置を決定付ける文献資料は乏しい。 エスクィリヌスのネクロポリス (Esquiline Necropolis) の墓石を彫るための刻器が、現在のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場の北西角地の近くで発見されている。 エスクィリヌスの古い門の外側とティブルティーナ街道の北側、「ホルティ・マエケナティアニ」(horti Maecenatiani)はセルウィリウス城壁に隆起した両側の門と道路から北側へ恐らく拡張されていた。 マエケナス庭園はマエケナスの死後、帝国の資産となった。なお、ティベリウスが2年にローマへ帰国した後は従来までのカリナエにあったポンペイウス邸宅からマエケナス庭園へ住居を変えた。 64年には皇帝ネロがパラティヌスの丘にあった皇帝宮殿のドムス・トランシトリア(Domus Transitoria)と繋がっていたマエケナスの別荘(塔) で、ローマ大火の様子を眺めていたと伝わっている。 ネロが滞在していたと伝わるマエケナスの別荘(塔)は、恐らくホラティウスが言及していた「モレム・プロピンクァム・ヌビブス・アルドゥイス」(molem propinquam nubibus arduis、雲の中にある山)であった考えられている。 マルクス・コルネリウス・フロント(en)によって購入された「ホルティ・マエケナティアニ」 が実際にマエケナスの庭園であったかは知られていない、そして12世紀にマギステル・グレゴリウスによって言及された「ドムス・フロントニアナ(domus Frontoniana)」がマエケナス庭園であったかもしれない。
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