マエストロ・デ・コンチェルティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:57 UTC 版)
「12のヴァイオリンソナタ 作品2 (ヴィヴァルディ)」の記事における「マエストロ・デ・コンチェルティ」の解説
作品2の出版譜には、ヴィヴァルディの肩書として「ピエタ慈善院のヴァイオリンのマエストロ(マエストロ・ディ・ヴィオリーノ)にしてコンサートのマエストロ(マエストロ・デ・コンチェルティ)」と記されている。これはヴィヴァルディがピエタの音楽教師であることと、フレデリク4世の御前でヴァイオリンを弾きながら娘たちを指揮したことを示していると思われるが、マエストロ・デ・コンチェルティ (Maestro de Concerti) は1716年にヴィヴァルディがピエタの音楽全般の指導者となったときに拝命した称号でもある。ヴェネツィアの女子音楽学校は、教会に付随する修道院施設という扱いであったので、音楽指導者の名称は修道院のそれに倣って「マエストロ・ディ・コーロ」 (Maestro di Coro) と呼ばれており、それと異なるヴァルディのこの肩書は、ヴィヴァルディ自身の求めによるとも考えられる。
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