マイケル・モース事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:40 UTC 版)
「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「マイケル・モース事件」の解説
万延元年10月15日(1860年11月27日)、狩猟帰りの英国人マイケル・モースの従僕が、役人らに捕らわれそうになった。江戸城から十里以内での火器の使用は禁じられており、外国人も例外ではなかったからである。モースは従僕を助けようと、役人らを銃でおどした。もみ合っている間に銃が発射され役人の1人が負傷したため、モースは捕縛された。モースは夜中になって釈放されたが、領事裁判所において裁判にかけられ、オールコックから1,000ドルの罰金と国外追放という判決をうけた。モースは後に、香港において、オールコックに対する損害賠償の訴訟を起こし、オールコックは敗訴、モースに2,000ドルを支払っている。 負傷した役人は重傷であり、その家族が復讐を狙っているとの噂が横浜の外国人居留地に広まり、外国人らはしばらくかなり緊張した。
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