ポール・パヴィオとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 製作者 > 映画製作者 > フランスの映画監督 > ポール・パヴィオの意味・解説 

ポール・パヴィオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 03:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
Paul Paviot
ポール・パヴィオ
生年月日 (1926-03-11) 1926年3月11日
没年月日 (2017-11-23) 2017年11月23日(91歳没)
出生地 フランス共和国 パリ
国籍 フランス
職業 脚本家映画監督スチルカメラマン
ジャンル 映画テレビ映画
活動期間 1947年 -
テンプレートを表示

ポール・パヴィオPaul Paviot1926年3月11日 パリ - 2017年11月23日[1])は、フランス脚本家映画監督スチルカメラマンである。

来歴・人物

1926年3月11日、フランス・パリに生まれる。

1947年、21歳のときに、スチルカメラマンとして映画界に入る。1951年、25歳にして製作会社「パヴォクス・フィルム」を設立、自社作品第一作としてアンドレ・アンリシュ監督による22分の短篇映画『Terreur en Oklahoma』を製作、みずからがイヴ・ロベールによる原案を、ルイ・サパン、アルベール・ヴィダリと共同で脚本に書き、助監督もつとめた。アンリッシュはのちにクリス・マルケル監督の『ラ・ジュテ』(1962年)に出演している。

1952年、俳優のマルセル・マルソーの製作会社「レ・フィルム・マルソー」の出資を得、共同製作の短篇映画『Torticola contre Frankensberg』で映画監督としてデビューする。主演はミシェル・ピコリ、音楽はジョゼフ・コスマ、美術はアレクサンドル・トローネル。同年、短篇ドキュメンタリー『Saint-Tropez, devoir de vacances』を小説家のボリス・ヴィアンとの共同脚本で撮る。同作で撮影監督ギスラン・クロケが撮影監督として一本立ちした。

1954年にマルセル・マルソーを主演に2本の短編映画を撮る。2本目の『マルセル・マルソオのパントマイム』は詩人で映画作家のジャン・コクトーの出演と序文を得、第5回ベルリン国際映画祭に出品されて銅賞の楯を得た。コクトーの序文は、1957年の短編映画『ジャンゴ・ラインハルト』でも得ている。これらは日本でも公開された。

総じて短篇を得意とする監督であったが、1960年代にわずか2本の長篇を残して、同後半からはテレビの世界に入った。特筆すべきは、1968年の西ドイツ・日本・フランス・カナダの4か国合作のテレビシリーズ『Polizeifunk ruft』の第6話を撮っていることだ。日本からは東京放送が参加し、第2話を飯島敏宏監督が脚本佐々木守、音楽冨田勲、主演二谷英明で撮っている[2]

フィルモグラフィ

脚注

  1. ^ Mort du cinéaste Paul Paviotフィガロ
  2. ^ 日本でのタイトル、放映の有無については不明である。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ポール・パヴィオ」の関連用語

ポール・パヴィオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ポール・パヴィオのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのポール・パヴィオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS