ポーランド王の施策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 02:18 UTC 版)
ブレスト合同成立の時のポーランド王はジグムント3世であり、モスクワへの侵攻も行った上で全ロシアのカトリック化を目論むなど積極的に支配領域の拡大とそのカトリック化を図る人物であり、熱烈なカトリック信者であった。 ポーランド王は、支配下においた教会に対して大きな裁量を持っていた。その対象は相手がカトリック教会であるか正教会であるかを問わなかったが、ポーランド王はカトリック教会を奉じており、既に東西教会の分裂が確定して久しい16世紀において、ウクライナの正教会は支配者であるポーランド王による圧迫に耐えなければならなかった。ウクライナの正教会の指導者たるキエフ府主教を始めとした各教区の主教達の任免は、王の恣意に任されていた。国王に指名される者は大概は貴族であり、任命以前には俗人である事がほとんどだった。 教会に通暁していない世俗貴族を王が主教に選任する事によってウクライナの正教会には混乱がもたらされ、高位聖職者は腐敗していった。
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