ポーランド王国の消滅以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:57 UTC 版)
「グダニスク」の記事における「ポーランド王国の消滅以降」の解説
18世紀、度重なる戦争によってグダニスクの経済は徐々に衰退していった。1734年のダンツィヒ攻囲戦ではロシアに占領された。1793年の第2次ポーランド分割により、グダニスクはプロイセン王国に併合され、公式名称も「ダンツィヒ」に変更された。1807年のダンツィヒ攻囲戦から1815年にかけてのナポレオン戦争の期間は、ナポレオンの政策によって自治都市としての地位を回復した(自由都市ダンツィヒ (ナポレオン時代))。ナポレオン戦争が終結すると、ダンツィヒは再びプロイセン王国の支配下に置かれ、西プロイセンのダンツィヒ地方の行政中心地とされた。ダンツィヒでは住民のドイツ文化への同化政策が徹底的に行われ、住民の多くはドイツ人(バルト・ドイツ人)となっていった。
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