ボールドネシアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 00:26 UTC 版)
ボールドネシアン | |
---|---|
欧字表記 | Boldnesian |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1963年4月14日[1][2] |
死没 | 1975年 |
父 | Bold Ruler |
母 | Alanesian |
母の父 | Polynesian |
生国 | ![]() |
生産者 | William Haggin Perry[1][2] |
馬主 | William Haggin Perry[1] |
調教師 | James W. Maloney |
競走成績 | |
生涯成績 | 5戦4勝[1][2] |
獲得賞金 | 107,625ドル[1][2] |
ボールドネシアン(Boldnesian、1963年 - 1975年)は、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、種牡馬。競走馬時代はサンタアニタダービーを制し、その後種牡馬として活躍した。
経歴
母アラネシアンを所有していた馬主ウィリアム・ハギン・ペリーの生産したサラブレッドの牡馬で、そのままペリーに所有され、母と同じくジェームズ・マロニー調教師のもとに預けられて競走馬となった[1]。
競走馬としてのボールドネシアンはデビュー戦こそ敗れたものの、その翌戦で初勝利を挙げると以後連勝を重ね、サンタアニタダービーで2着馬をハナ差破って4連勝を遂げた。しかし、その後に膝に骨片が生じたため引退を余儀なくされた[1][3]。
種牡馬入り後
ボールドネシアンはフロリダ州のウィリアム・リード所有の牧場メアヘイヴン牧場で種牡馬となった。アメリカジョッキークラブの調べによれば、ボールドネシアンは生涯で253頭の産駒を出し、うち175頭が勝ち上がり、27頭がステークス競走勝ち馬になったとある[1]。
代表産駒に、のちに種牡馬として成功しカナダ殿堂馬となったボールドラッカス(Bold Ruckus)がいる。ボールドラッカス以外ではジャージーダービー勝ち馬で、のちにシアトルスルーの父となったボールドリーズニング(Bold Reasoning)がいる。母の父としての影響も強く、母父としての代表産駒にはミスアレッジド(ブリーダーズカップ・ターフなど)やスカイウォーカー(ブリーダーズカップ・クラシックなど)、ローソサイエティ(アイリッシュダービーなど)などがいる。
ボールドネシアンは1975年、蹄葉炎のために安楽死の処置がとられた[1]。
血統表
ボールドネシアンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ボールドルーラー系 |
[§ 2] | ||
父
Bold Ruler アメリカ 黒鹿毛 1954 |
父の父
Nasrullahイギリス 鹿毛 1940 |
Nearco | Pharos | |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
父の母
Miss Discoアメリカ 鹿毛 1944 |
Discovery | Display | ||
Ariadne | ||||
Outdone | Pompey | |||
Sweep Out | ||||
母
Alanesian アメリカ 鹿毛 1954 |
Polynesian アメリカ 黒鹿毛 1942 |
Unbreakable | Sickle | |
Blue Glass | ||||
Black Polly | Polymelian | |||
Black Queen | ||||
母の母
Alablueアメリカ 鹿毛 1945 |
Blue Larkspur | Black Servant | ||
Blossom Time | ||||
Double Time | Sir Gallahad | |||
Virginia L. | ||||
母系(F-No.) | (FN:4-m) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Pompey 4x5, Phalaris 5x5 | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h i Avalyn Hunter. “Boldnesian (horse)”. American Classic Pedigrees. 2022年5月20日閲覧。
- ^ a b c d “Boldnesian (KY)”. EQUIBASE. 2022年5月20日閲覧。
- ^ Steve Cady (23 March 1966). “Knee Operation Sidelines Boldnesian for Six Months; INJURY IS TRACED TO COAST STAKES Bone Chips Developed in Santa Anita Derby Victory Baeza Hurt in Fall”. The New York Times 2022年5月20日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Boldnesian(USA)”. JBISサーチ. 2022年5月20日閲覧。
- ^ a b c d “Boldnesianの血統表”. netkeiba.com. 2022年5月20日閲覧。
外部リンク
ボールドネシアン(Boldnesian)
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「ボールドルーラー」の記事における「ボールドネシアン(Boldnesian)」の解説
1963年4月14日生まれの牡馬。母アラネシアン、母父ポリネシアン。サンタアニタダービー勝ち馬であったが、クラシック直前に左前肢の関節に骨片が生じたため戦線離脱、そのまま引退に至った。総合成績5戦4勝、獲得賞金107,625ドル。種牡馬としてカナダでリーディングサイアーとなったボールドラックス、ジャージーダービー勝ち馬のボールドリーズニングなどを出した。ボールドリーズニングはシアトルスルーの父となり、その後シアトルスルー系に至る系譜を作っていった。
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