ホークとの事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 02:55 UTC 版)
「エドワード・スミス」の記事における「ホークとの事故」の解説
1911年9月20日、オリンピックは初めて大きな事故を起こした。イギリス海軍の防護巡洋艦ホークと衝突し、ホークは船首を破損した。この事故でオリンピックの防水区画のうち2つが破壊され、プロペラシャフト1つが折れ曲がったが、自力でサウサンプトン港に戻ることができた。 事故調査に際して、海軍側は事故の原因がオリンピックにあるとして訴えた。すなわちオリンピックが巨大であったため、スクリューの吸引力によりホークが引き込まれたというものであった。この事故の最中、ブリッジにはスミスがいた。 この事故は、ホワイト・スター・ライン社にとって経済的な痛手となり、大型船にとって営業できない時期というのはさらに事態を悪いものにした。オリンピックはベルファストに戻り、その修理を急ぐこととなった。これによりハーランド・アンド・ウルフはタイタニックのプロペラシャフトの一つをオリンピックに使い、タイタニックの完成を遅らせざるをえなくなった。 1912年2月、海上に戻ったオリンピックだが、プロペラブレードを破損し再びドックに戻って応急修理を行うこととなった。オリンピックを直ちに運航できるようにするため、ハーランド・アンド・ウルフはそちらに力を注ぐことになり、タイタニックの処女航海は3月20日から4月10日に延期となった。
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