ホノリウス2世 (対立教皇)とは? わかりやすく解説

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ホノリウス2世 (対立教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 09:52 UTC 版)

ホノリウス2世
第19代 ローマ対立教皇
教皇就任 1061年10月28日
教皇離任 1064年
先代 ベネディクトゥス10世
次代 クレメンス3世
個人情報
死去 1071年
その他のホノリウス (曖昧さ回避)
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ホノリウス2世(? - 1071年)は、ローマ教皇であるアレクサンデル2世対立教皇である(在位:1061年10月28日 - 1064年)。

生涯

教皇のニコラウス2世イタリアの領有権をめぐって神聖ローマ帝国と対立し、1061年7月に死去した。次の教皇であるアレクサンデル2世は9月に即位したが、神聖ローマ皇帝であるハインリヒ4世の生母で摂政アグネスはこれに反対し、10月28日にバーゼルで擁立されたのが、このホノリウス2世であった。

しかしロレーヌ公ゴドフロワ3世の反対と妨害を受けてローマに入ることはできず、ハインリヒ4世の摂政もアグネスからケルン大司教であるアンノ2世になるとホノリウス2世は見捨てられてしまう。結局、1064年にマントヴァで行なわれた司教会議退位を余儀なくされた。

しかし1071年に死去するまで、自らが正当な教皇であると必死に訴えたという。

参考文献




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