ペトロパブロフスク‐ようさい〔‐エウサイ〕【ペトロパブロフスク要塞】
読み方:ぺとろぱぶろふすくようさい
《Petropavlovskaya krepost'/Петропавловская крепость》ロシア連邦北西部、レニングラード州の都市サンクトペテルブルグにある星形の城壁に囲まれた要塞。18世紀初頭、ピョートル1世が北方戦争でスウェーデンから奪った土地を防衛するために建造。実際には要塞として使われず、政治犯の収容所などに利用され、バクーニン、レーニン、ドストエフスキーらが収容されたことがある。中央のペトロパブロフスク聖堂にはピョートル1世以降の歴代皇帝および皇族の墓所がある。1914年から1917年にかけて、ペトログラード要塞とよばれた。1990年、「サンクトペテルブルグ歴史地区と関連建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。サンクトペテルブルグ要塞。
ペトロパヴロフスク要塞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 01:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動Peter and Paul Fortress | |
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空中写真
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種類 | 要塞・博物館 |
所在地 | ![]() |
座標 | 北緯59度57分00秒 東経30度19分01秒 / 北緯59.950度 東経30.317度座標: 北緯59度57分00秒 東経30度19分01秒 / 北緯59.950度 東経30.317度 |
建設 | 1703-1740 |
建築家 | ドメニコ・トレジーニ |
ペトロパヴロフスク要塞(ペトロパヴロフスクようさい、ロシア語:Петропа́вловская кре́постьピトラパーヴラフスカヤ・クリェーパスチ)は、ロシア、サンクトペテルブルクの要塞である。名称は、ロシア語で「ペトロとパウロの要塞」という意味で、ペトロ・パウロ要塞、あるいはペトロ・パヴロ要塞とも表記される。
正式名称はサンクトペテルブルク要塞(Санкт-Петербургская крепостьサンクトピチルブールクスカヤ・クリェーパスチ)。1914年から1917年にかけては都市の名称が「ペトログラード」であったため、要塞もペトログラード要塞(Петроградская крепостьピトラグラーツカヤ・クリェーパスチ)と称した。
概要
1700年に始まった大北方戦争の過程でスウェーデンから土地を防衛するためにピョートル1世の命令で建設された。星型要塞の理論に基づいて設計され、河口付近のザーヤチ島の形状を生かして構築された。
要塞の中央に首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂)があり、ピョートル1世が葬られている。大聖堂はロシアの歴代皇帝の埋葬地となり、帝政ロシア時代は最も神聖な場所とされた。
1872年、南西のバスチョン(城壁の突出し部)に監獄が建設され、1917年まで政治犯収容所として利用された。一時はバクーニンやネチャーエフ、ドストエフスキー、レーニンらも収容された[1]。ロシア革命後には、失脚したロシア帝国議会議員や臨時政府の閣僚らも収容された(一部は脱走に成功したが、残った人々は獄死・処刑された)。
現在は要塞の西端に造幣局が立地しているが、それ以外の建物は観光客に開放されており、金箔を用いた豪華なバロック様式の大聖堂などを見学できる。
歴史
アクセス
- 近隣にサンクトペテルブルク地下鉄ゴーリコフスカヤ駅が位置する。
脚注
- ^ 『るるぶロシア モスクワ・サンクトペテルブルク 2016』JTBパブリッシング、2016年、48頁。ISBN 978-4-533-11337-6。
関連項目
外部リンク
- 公式サイト (ロシア語)
- Official webpage (ロシア語)
- Satellite photo, via Google Maps
固有名詞の分類
要塞 |
カザン・クレムリン アムステルダムの防塞線 ペトロパヴロフスク要塞 ムルス・ダキクス 赤い城 |
サンクトペテルブルク |
ピョートル・バロック シベリア横断道路 ペトロパヴロフスク要塞 ホテル・アストリア ダッチ・アドミラルティ |
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