ベルリンの壁崩壊から自由選挙での圧勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 15:56 UTC 版)
「ドイツキリスト教民主同盟 (東ドイツ)」の記事における「ベルリンの壁崩壊から自由選挙での圧勝」の解説
1989年にポーランド民主化運動、ハンガリー民主化運動の余波を受けて東欧革命の波が東ドイツに及ぶと、キリスト教民主同盟もその影響にさらされることとなった。東ドイツで民主化運動が盛り上がり、エーリッヒ・ホーネッカーが政権の座を追われ、ベルリンの壁が崩壊すると、ロタール・デメジエールが党首となり、党は西側のキリスト教民主同盟にならって中道右派的なキリスト教民主主義に路線を転換、さらに早期の東西ドイツ再統一と西ドイツの通貨であるドイツマルク導入を掲げた。これらの政策により、東ドイツ最初で最後の自由選挙となった1990年3月18日の人民議会選挙では保守政党としてドイツ社会同盟(DSU)、民主主義の出発(DA)と保守政党連合である「ドイツ連合」(Allianz für Deutschland)を組み圧勝、デメジエールが東ドイツ最後の首相に就任してドイツ再統一への道をつけた。
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