ベルリンの壁崩壊と東欧革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 05:49 UTC 版)
「歓喜の歌」の記事における「ベルリンの壁崩壊と東欧革命」の解説
ベルリンの壁が崩壊した後、チェコスロバキアでビロード革命が起き、1989年12月14日、首都のプラハで革命を祝うための演奏会がヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によって行われ、ここで歌われた歓喜の歌が東欧革命のテーマ曲となった。演奏が終わると拍手が20分以上も鳴り続け、新しい大統領となったヴァーツラフ・ハヴェルはVサインを掲げ、共に革命の勝利を喜んだ。 一方でそのベルリンでは、1989年12月25日にレナード・バーンスタイン指揮の演奏会が行われた。バイエルン放送交響楽団を母体に、東西ドイツとアメリカ、イギリス、フランス、ソ連(当時)の6ヶ国から有志を募って混成オーケストラを臨時編成し、ベルリンでも伝統のあるコンサートホールであるシャウシュピールハウスで交響曲第9番を演奏して、東西ドイツの融和を祝った。この時は“Freude”(歓喜)を“Freiheit”(自由)に置き換えて歌ったことが大きな話題になった(再統一は翌年の1990年10月3日である)。 間もなく、ドイツ・グラモフォン社からこのクリスマス・コンサートのライブ録音がCDとレーザー・ディスク(LD)で発売された。バーンスタインはそれから1年もたたないうちに、1990年10月14日に急逝した。
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