ヘナロ・エルナンデス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 09:32 UTC 版)
基本情報 | |
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本名 | ヘナロ・エルナンデス |
通称 | Chicanito |
階級 | スーパーフェザー級 |
身長 | 180cm |
リーチ | 185cm |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1966年5月10日 |
出身地 | カリフォルニア州 |
死没日 | 2011年6月7日(45歳没) |
死没地 | カリフォルニア州ロサンゼルス |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 41 |
勝ち | 38 |
KO勝ち | 17 |
敗け | 2 |
引き分け | 1 |
ヘナロ・エルナンデス(Genaro Hernandez、1966年5月10日 - 2011年6月7日)は、アメリカ合衆国の元プロボクサー。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。元WBA・WBC世界スーパーフェザー級王者。
世界ボクシング殿堂入り。メキシコ系米国人(ヒスパニック)。
来歴
幼いころからボクシングに親しんだが、アマチュアボクシングでは4戦全敗だった。
1984年9月27日、プロデビュー。4回判定勝ちを収め、以降も連戦連勝を重ねる。
1991年11月22日、24戦目で世界初挑戦。後のWBO世界スーパーフェザー級王者のダニエル・ロンダ(フランス)とWBA世界スーパーフェザー級王座決定戦を行い、9回TKO勝ち。無敗のまま世界王座に就いた。
1992年7月15日 竹田益朗を12回判定[1]、続く11月20日の3度目の防衛戦では渡辺雄二を6回TKOで降すなど[1]、通算8度の防衛に成功。
1995年6月、WBO世界ライト級王座での世界挑戦内定により王座返上(実質的には剥奪)。
1995年9月9日、WBO世界ライト級王者オスカー・デ・ラ・ホーヤに挑戦。同じカリフォルニア州出身でともに無敗という注目の対決となったが、6回に王者の強打を顔面に受け、鼻骨を骨折。この回終了後のインターバルで自ら棄権を申し入れTKO負け。2階級制覇はならず、プロ初黒星となる。
1997年3月22日、スーパーフェザー級に戻しての世界再挑戦。WBC世界スーパーフェザー級王者アズマー・ネルソン(ガーナ)に挑み、2-1(116-114、118-110、114-115)12回判定勝ち。1年9か月ぶりの世界王座返り咲きを果たした。その後、3度の防衛に成功。
1998年10月3日、4度目の防衛戦で同国人のフロイド・メイウェザー・ジュニアと対戦。8回終了TKO負けを喫し、王座陥落。この試合を最後に引退した。
引退後は総合格闘技団体「UFC」のスペイン語放送で解説者を務めていたが[2]、発症率が極めて低いとされる癌の一種「横紋筋肉腫」に侵され闘病生活に入る。2009年暮れにいったんは快復したものの、その後再発し、2011年6月7日、カリフォルニア州の自宅で死去。45歳没[3]。
尚、葬式の費用はプロボクサーで1998年にエルナンデスと対戦した経験のあるフロイド・メイウェザー・ジュニアによる浄財で全額賄われた。
人物
- 紳士的でフェアプレーを重んじる人物。WBA王座3度目の防衛に成功した渡辺戦では試合後、リング上で悔し涙を流す渡辺に優しい言葉を掛け慰めており、インタビューでも「渡辺は気を落とさないで欲しい」と気遣いを見せた。また、世界王座返り咲きを果たしたネルソン戦では7回終了のゴングが鳴った直後にファウルパンチを受け、しばらく起き上がれなくなるほどの深刻なダメージを負った。試合続行不可能をアピールすれば勝利は確実だったが、エルナンデスは自ら続行を志願。苦戦を強いられたが、最後は判定勝ちを収め王座返り咲きに成功。試合後、そのことについて尋ねられたエルナンデスは「ネルソンのことは尊敬しているし、何より自分はこの競技に誇りを持っている」と答えたという。
- 初めて世界王座を獲得する前に東京の帝拳プロモーションとマネージメント契約を締結し、以降たびたび来日した。テクニカルなボクシングと謙虚な態度で日本でも人気が高く帝拳の総帥本田明彦とも強い信頼関係を構築。また本人も大の親日家だった。
- 畑山隆則、中谷潤人、アンソニー・オラスクアガらを育てたボクシングトレーナーのルディ・エルナンデスは実兄。
戦績
- プロボクシング:41戦 38勝 (17KO) 2敗 1分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 1984年9月27日 | ☆ | 4R | 判定 | ディノ・ラミレス | ![]() |
プロデビュー戦 |
2 | 1984年11月17日 | ☆ | 4R | 判定 | マーティン・エスコバル | ![]() |
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3 | 1985年6月24日 | ☆ | 6R | 判定3-0 | ディノ・ラミレス | ![]() |
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4 | 1985年10月29日 | ☆ | 6R | 判定 | ランディ・アーチュレッタ | ![]() |
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5 | 1985年12月12日 | ☆ | 1R | KO | ホセ・マイトレーナ | ![]() |
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6 | 1986年2月17日 | ☆ | 2R | TKO | パブロ・モンターノ | ![]() |
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7 | 1986年2月24日 | ☆ | 2R 1:13 | KO | テリー・バルドウィン | ![]() |
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8 | 1986年3月31日 | ☆ | 6R | 判定 | ラリー・ビジャレアル | ![]() |
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9 | 1986年4月28日 | ☆ | 3R | TKO | ホルへ・バルデス | ![]() |
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10 | 1986年7月21日 | ☆ | 7R | TKO | テリー・バルドウィン | ![]() |
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11 | 1986年9月12日 | ☆ | 10R | 判定 | ルペ・ミランダ | ![]() |
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12 | 1986年12月12日 | ☆ | 10R | 判定 | J・L・アイビー | ![]() |
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13 | 1987年8月31日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | ケニー・ワイアット | ![]() |
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14 | 1988年4月25日 | ☆ | 9R | TKO | ファン・マヌエル・ベガ | ![]() |
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15 | 1988年7月25日 | ☆ | 10R | 判定 | ホセ・マスケダ | ![]() |
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16 | 1988年11月22日 | ☆ | 6R | KO | レフジオ・ロハス | ![]() |
米-カリフォルニア州スーパーフェザー級タイトルマッチ |
17 | 1989年5月15日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | エド・ポラード | ![]() |
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18 | 1989年7月31日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | フェリペ・オロスコ | ![]() |
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19 | 1990年5月10日 | ☆ | 3R | KO | レオン・コリンズ | ![]() |
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20 | 1990年8月27日 | ☆ | 3R 2:18 | KO | リチャード・アビラ | ![]() |
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21 | 1990年9月22日 | ☆ | 6R 2:06 | TKO | ベン・ロペス | ![]() |
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22 | 1990年12月6日 | ☆ | 5R 2:00 | KO | ロドルフォ・ゴメス | ![]() |
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23 | 1991年2月11日 | ☆ | 10R 2:04 | 反則 | ペドロ・アローヨ | ![]() |
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24 | 1991年11月22日 | ☆ | 9R 1:07 | TKO | ダニエル・ロンダ | ![]() |
WBA世界スーパーフェザー級王座決定戦 |
25 | 1992年2月24日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | オマール・カタリ | ![]() |
WBA防衛1 |
26 | 1992年7月15日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | 竹田益朗(陽光アダチ) | ![]() |
WBA防衛2 |
27 | 1992年11月20日 | ☆ | 6R 0:59 | TKO | 渡辺雄二(斉田) | ![]() |
WBA防衛3 |
28 | 1993年4月26日 | △ | 1R 0:28 | 負傷引分 | ラウル・ペレス | ![]() |
WBA防衛4 |
29 | 1993年6月28日 | ☆ | 8R 2:11 | KO | ラウル・ペレス | ![]() |
WBA防衛5 |
30 | 1993年10月11日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ハロルド・ウォーレン | ![]() |
WBA防衛6 |
31 | 1994年1月31日 | ☆ | 8R 2:35 | TKO | ホルへ・ラミレス | ![]() |
WBA防衛7 |
32 | 1994年11月12日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ジミー・ガルシア | ![]() |
WBA防衛8 |
33 | 1995年3月31日 | ☆ | 8R | TKO | ホルへ・パエス | ![]() |
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34 | 1995年9月9日 | ★ | 6R 終了 | TKO | オスカー・デ・ラ・ホーヤ | ![]() |
WBO世界ライト級タイトルマッチ |
35 | 1996年5月8日 | ☆ | 5R 2:10 | TKO | ハビエル・ピチャルド | ![]() |
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36 | 1996年9月28日 | ☆ | 10R | 判定 | アントニオ・エルナンデス | ![]() |
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37 | 1997年3月22日 | ☆ | 12R | 判定2-1 | アズマー・ネルソン | ![]() |
WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ |
38 | 1997年6月14日 | ☆ | 12R | 判定2-1 | アナトリー・アレクサンドロフ | ![]() |
WBC防衛1 |
39 | 1997年11月20日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | カルロス・エルナンデス | ![]() |
WBC防衛2 |
40 | 1998年5月16日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | カルロス・ジェレナ | ![]() |
WBC防衛3 |
41 | 1998年10月3日 | ★ | 8R 終了 | TKO | フロイド・メイウェザー・ジュニア | ![]() |
WBC陥落 |
テンプレート |
獲得タイトル
脚注
- ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
- ^ UFC王者 vs ボクシング王者―― 強いのはどっちだ? WOWOW公式サイト 2010年8月27日
- ^ 元世界王者ヘナロ・エルナンデス氏ががんで死去 スポーツニッポン 2011年6月9日閲覧
関連項目
外部リンク
空位 前タイトル保持者 ジョーイ・ガマチェ |
WBA世界スーパーフェザー級王者 1991年11月22日 - 1995年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 崔龍洙 |
前王者 アズマー・ネルソン |
WBC世界スーパーフェザー級王者 1997年3月22日 - 1998年10月3日 |
次王者 フロイド・メイウェザー・ジュニア |
ヘナロ・エルナンデス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 23:36 UTC 版)
「アウトボクシング」の記事における「ヘナロ・エルナンデス」の解説
軽量級に属するスーパーフェザー級でありながら、身長180cm、リーチ185cmという破格の体躯を存分に活かして連勝を重ねたアウトボクサー。
※この「ヘナロ・エルナンデス」の解説は、「アウトボクシング」の解説の一部です。
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