ヘザーリー美術学校とロイヤル・アカデミー
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「アーネスト・タウンゼンド」の記事における「ヘザーリー美術学校とロイヤル・アカデミー」の解説
タウンゼンドが早くから示した才能は本物であり、最終的に彼は建築会社を去ってロンドンのヘザーリー美術学校で勉学に専念した。次いで、ロイヤル・アカデミーの 5 年間の過程に進み、1907年1月まで絵画学部に在籍した。彼の指導教員にはジョン・シンガー・サージェントやローレンス・アルマ=タデマがいた。彼の学友にはオーブリー・ビアズリー、アルフレッド・マニングス(英語版)、オーガスタス・ジョン、ラウラ・ナイト(英語版)がいた。後述の通り、タウンゼンドは1910年から1937年の間に 15 点の絵画をアカデミーに出展した。 当時彼は貧乏学生だったため、兄のウィリアム・ポールソン・タウンゼンドと同居していた。ウィルソンはのち王立裁縫学校(英語版)のデザイン・マスターとなっており、様々な芸術出版物の著作・編集を手がけた。アーネストはそれらの雑誌類、特に『Art Worker's Quarterly』(季刊 芸術家)のデザイナーとして働き、収入を補った。 1904年に彼は肖像画でロイヤル・アカデミーのランシア奨学金を得、1905年には『Willows and Weeds』(柳と雑草)でアカデミーのクレジク賞を得た。この絵は彼の死後、家族によってダービー美術館へ寄贈された。
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