ブレンダン・ドネリーとは? わかりやすく解説

ブレンダン・ドネリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 05:58 UTC 版)

ブレンダン・ドネリー
Brendan Donnelly
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ワシントンD.C.
生年月日 (1971-07-04) 1971年7月4日(54歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト27巡目
初出場 2002年4月9日 マリナーズ
最終出場 2010年7月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ブレンダン・ケビン・ドネリーBrendan Kevin Donnelly, 1971年7月4日 - )は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

略歴

1971年7月4日、ワシントンD.C.で生まれたが、その後ニューメキシコ州アルバカーキへ移住し、そこで育っている。1992年ドラフト27巡目でシカゴ・ホワイトソックスから指名され入団。メジャー昇格の機会がなかなか巡って来ず、マイナーリーグ独立リーグでプレーし続ける日々が続いた。1995年春には、前年から続く長期MLBストライキに対抗しようとしたオーナー側が、マイナーリーガーらを「代替選手」としてかき集めてシーズンを強行実施しようとした。ドネリーはこの「代替選手」としてオープン戦に登板していたため、現在も「裏切り者」として選手会には入会できないでいる。

その後も数球団を渡り歩いたドネリーは、2001年1月にアナハイム・エンゼルスと契約する。2002年にメジャー初昇格を果たすと、46試合に登板して防御率2.17を記録し、エンゼルスのワールドシリーズ制覇に貢献した。翌2003年にはホールド数でリーグ1位となり、監督推薦でオールスターに選出されるなど、中継ぎ投手として活躍した。

2005年6月のワシントン・ナショナルズ戦で、ナショナルズのホセ・ギーエンが自軍のフランク・ロビンソン監督をたきつけ、ドネリーのグラブを調べるように要求した。主審が調べたところ、グラブに松脂が仕込んである事が発覚したため、ドネリーは10試合の出場停止処分を受けた。ギーエンはエンゼルスに在籍していた2004年マイク・ソーシア監督と衝突しており、ドネリーがそのときソーシアを支持したため、ギーエンは2人に恨みを抱いていた。

2006年12月にトレードでレッドソックスへ移籍し、2007年はシーズン途中まで中継ぎとして活躍したものの右肘を故障、トミー・ジョン手術をすることとなった。その後レッドソックスから放出された後、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。2008年8月8日、メジャー復帰[1]

2009年5月、ヒューストン・アストロズとマイナー契約。7月5日にフロリダ・マーリンズとメジャー契約を結んだ。

2011年3月6日、現役引退を表明。

薬物疑惑

2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書によると、カーク・ラドムスキーはアダム・リグスからドネリーを紹介された。ドネリーは2004年にアナボリックステロイドハイテクアナバーを欲しがっていた。ラドムスキーはデカ・デュラボリンを250から300ドルで販売したと証言した。この主張についての情報を提供し、応答の機会を与えるためにジョージ・J・ミッチェルが面会を要求したが、ドネリーはこれを拒否した [2]。ドネリーは同月15日に声明を発表した。声明の中で、鼻血や腕の故障の問題を抱えていた時に回復を早める目的でハイテクアナバーを求めたが、ハイテクアナバーがステロイドに分類された事を知り、選択肢から外した。ラドムスキーからは何も薬物を購入していないし、使用していないと述べている[3]

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2002 ANA
LAA
46 0 0 0 0 1 1 1 13 .500 199 49.2 32 2 19 3 2 54 1 0 13 12 2.17 1.03
2003 63 0 0 0 0 2 2 3 29 .500 307 74.0 55 2 24 1 4 79 1 0 14 13 1.58 1.07
2004 40 0 0 0 0 5 2 0 5 .714 172 42.0 34 5 15 0 1 56 0 0 14 14 3.00 1.17
2005 66 0 0 0 0 9 3 0 16 .750 271 65.1 60 9 19 3 2 53 3 0 30 27 3.72 1.21
2006 62 0 0 0 0 6 0 0 11 1.000 278 64.0 58 8 28 3 4 53 6 0 32 28 3.94 1.34
2007 BOS 27 0 0 0 0 2 1 0 8 .667 90 20.2 19 0 5 0 4 15 2 0 8 7 3.05 1.16
2008 CLE 15 0 0 0 0 1 0 0 4 1.000 69 13.2 20 2 10 0 0 8 0 0 13 13 8.56 2.20
2009 FLA 30 0 0 0 0 3 0 2 9 1.000 104 25.1 22 1 9 1 1 25 1 1 8 5 1.78 1.22
2010 PIT 38 0 0 0 0 3 1 0 9 .750 142 30.2 26 6 25 1 1 26 1 1 21 19 5.58 1.66
通算:9年 386 0 0 0 0 32 10 6 104 .762 1632 385.1 326 35 154 12 19 369 15 2 153 138 3.22 1.25
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に球団名を変更

脚注

  1. ^ Indians promote RHP Anthony Reyes and RHP Brendan Donnelly from Triple-A Buffalo”. MLB.com. 2008年8月12日閲覧。
  2. ^ Mitchell Report” (PDF) (英語). Office of the Commissioner of Baseball. pp. SR224-225. 2013年11月27日閲覧。
  3. ^ Ex-Red Sox reliever devastated by inclusion in report” (英語). ESPN.com. 2013年11月27日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 チャーリー・O・フィンリー  スティーブン・ランドルフ  ブレンダン・ドネリー  ショーン・オチンコ  ダグ・デシンセイ
ボストン・レッドソックスの選手 デニス・エカーズリー  アダム・ハイズデュ  ブレンダン・ドネリー  デービッド・コーン  マット・クレメント
クリーブランド・インディアンスの選手 デニス・エカーズリー  ポール・アボット  ブレンダン・ドネリー  ナップ・ラジョイ  マット・ウィリアムズ
ピッツバーグ・パイレーツの選手 アンディ・バンスライク  アダム・ハイズデュ  ブレンダン・ドネリー  フレッド・クラーク  カルメロ・マルティネス
ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 ルイス・ソーホー  マイク・フィアリー  ブレンダン・ドネリー  ダグ・デシンセイ  フィル・ネビン
フロリダ・マーリンズの選手 セルジオ・ミトレ  ギャビー・サンチェス  ブレンダン・ドネリー  ルイス・カスティーヨ  マット・クレメント
ミッチェル報告書に記載された選手 アンディ・ペティット  スティーブン・ランドルフ  ブレンダン・ドネリー  マット・ウィリアムズ  フェルナンド・ビーニャ

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