フレドリック・ユングベリとは? わかりやすく解説

フレドリック・ユングベリ

(フレドリク・ユングベリ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 00:21 UTC 版)

フレドリック・リュングベリ
名前
本名 カール・フレドリック・ユングベリ
Karl Fredrik Ljungberg
愛称 フレディ
ラテン文字 Fredrik Ljungberg
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1977-04-16) 1977年4月16日(48歳)
出身地 ヴィット英語版
身長 175cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF(OMF,SMF,CMF) / FW(ST,WG)
利き足 右足
ユース
1982-1994 ハルムスタッズBK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1998 ハルムスタッズBK 79 (10)
1998-2007 アーセナルFC 216 (46)
2007-2008 ウェストハム・ユナイテッドFC 25 (2)
2009-2010 シアトル・サウンダーズFC 37 (2)
2010 シカゴ・ファイアー 15 (2)
2011 セルティックFC 7 (0)
2011-2012 清水エスパルス 8 (0)
2014 ムンバイ・シティFC 4 (0)
通算 391 (62)
代表歴
1993  スウェーデン U-16 4 (0)
1994  スウェーデン U-18 8 (1)
1995-1998  スウェーデン U-21 12 (5)
1998-2008 スウェーデン 75 (14)
監督歴
2016-2017 アーセナル U-15
2017 ヴォルフスブルク (アシスタントコーチ)
2018-2019 アーセナル U-23
2019-2020 アーセナル (アシスタントコーチ)
2019 アーセナル (暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フレドリック・ユングベリKarl Fredrik Ljungberg, 1977年4月16日 - )は、スウェーデンヴィット英語版出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーフォワード。セカンドトップ、ウイング、トップ下、サイドハーフ、センターハーフをこなす。元スウェーデン代表

日本では「フレドリク・リュングベリ」、「リュンベリ」等とも表記されてきたが、「フレドリック・ユングベリ」としてJリーグに正式登録された。

経歴

選手時代

クラブ

アーセナル時代のユングベリ

1989年、12歳の時に地元のクラブであるハルムスタッドBKの下部組織に加入し、1994年10月23日のAIKソルナ戦でトップチームデビューした。1995年シーズンはリーグ戦31試合に出場して1得点を挙げ、スウェディッシュ・カップを制した。1997年にはアルスヴェンスカン優勝を果たし、ハルムスタッドBKでは公式戦通算139試合に出場して16得点を記録した。

1998年、プレミアリーグアーセナルFCに移籍。移籍金300万ポンドは当時のスウェーデン人選手史上最高額であった。途中出場したマンチェスター・ユナイテッドFC戦で初得点を決め、デビュー戦を3-0の勝利で飾った。2001年のFAカップ決勝ではリヴァプールFCと対戦し、イングランド国外の選手として初めて同大会決勝での得点を記録したが、試合には敗れて準優勝に終わった。2001-02シーズンは最高のコンディションを維持し、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成した。FAカップ決勝ではチェルシーFCと対戦し、史上初めて2年連続で同大会決勝での得点を記録した。2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで決勝に進出し、怪我を押してFCバルセロナとの試合に出場した。2008年にはアーセナルFCのファンが選ぶベストプレーヤーの11位に選ばれた。

2007年7月23日、4年契約でウェストハム・ユナイテッドFCに移籍した。2007-08シーズン開幕戦のマンチェスター・シティFC戦でデビューし、その試合ではキャプテンを務めた。2008年2月9日のバーミンガム・シティFC戦で初得点を記録した。

2008年10月28日、MLSシアトル・サウンダーズFCと契約した。2010年7月30日、シカゴ・ファイアーにトレードされ、ロサンゼルス・ギャラクシー戦でデビューした。リーグ戦15試合に出場し、2010年末のメジャーリーグサッカー閉幕を持ってシカゴ・ファイヤーを離れた。トライアルを経て、2010年12月30日にスコティッシュ・プレミアリーグセルティックFCとシーズン終了までの契約を結ぶ[1]。2011年8月27日、清水エスパルスと契約したことがFIFA公式サイトなどで報道され[2]、清水の早川巌会長が正式にユングベリの獲得を発表した。2013年1月までの契約[3]で、推定年俸は6000万円[4][5]。2012年2月14日、清水は怪我の治療の為に帰国中のユングベリとの契約を解除すると発表。一度は現役引退を表明したが2014年10月から新たに始まったインディアン・スーパーリーグムンバイ・シティFCにマーキングプレーヤーとして加入し3カ月間のみ現役復帰した。

代表

1997年1月24日、フロリダ州オーランドで行われたアメリカ戦でスウェーデン代表デビューした。1998年5月28日、マルメで行われたデンマークとの親善試合で初得点を挙げた。チームメイトのDFオロフ・メルベリとは犬猿の仲として有名であり、2002 FIFAワールドカップ前の合宿中には取っ組合いのケンカをした。2002 FIFAワールドカップでは腰の故障で目立った活躍ができなかったが、2004年のUEFA EURO 2004は準々決勝まで全試合にフル出場した。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、ズラタン・イブラヒモビッチヘンリク・ラーションそしてユングベリの3人でチームの3分の2のゴール数をたたきこみ、本大会出場に貢献した。本大会では準々決勝で敗退したが、全試合に出場して1得点を決めている。スウェーデン代表として最後の試合は2008年6月18日のUEFA EURO 2008グループリーグ・ロシア戦であった。6月27日、10年に及ぶ代表生活から退くことを発表した。

指導者時代

2016年7月、アーセナルアカデミーのU-15チーム監督に就任した[6]

2017年2月27日VfLヴォルフスブルクの監督に就任したアンドリース・ヨンカーのアシスタントコーチを務めることが発表された[7]2017年9月、ヨンカーの解任と共にユングベリもチームを去ることとなった[8]

2018年6月12日、アーセナルはユングベリがアーセナルU-23チームの監督としてチームに戻ってくることを発表した[9]2019年6月5日エメリ監督のアシスタントコーチとしてトップチームに昇格した[10]2019年11月29日、成績不振によるエメリの監督解任と同時にユングベリが暫定監督として指揮を執ることが発表された[11]。同年12月20日ミケル・アルテタがアーセナルの監督に正式就任し、翌日のエヴァートンFC戦を最後に暫定監督としての役割を終えることが発表された[12]。同年12月24日、アシスタントコーチとしてチームに留まることが発表された[13]2020年8月22日、アシスタントコーチを退任してアーセナルを離れることが発表された[14]

プレースタイル

中盤ならどこでもプレーでき、フォワードを務めることもできる。

フィジカルの強さ、運動量、加速力を武器とした攻撃的なスタイルを特徴とし、キャリア全盛期には欧州最高峰のアタッカーとも評された[15]。清水加入時には34歳であったが、走力について監督のゴトビは「清水の中でも一番速いのでは」と評したとされる[16]

人物

母国の男性誌でモデルを務めるユングベリ

2007年よりカルバン・クラインの下着モデルを務めている[17]。同性からも人気があるサッカー選手であり、ゲイ雑誌のサッカー選手人気投票で何度も1位を獲得している。しかし本人は異性愛者で、モデルの女性が恋人である[18]

アーセナルFC所属時にはクラブカラーを模して赤く染め上げたモヒカンの髪型をしていた時期があり[19]、頻繁に髪型を変えることでも知られていた。

個人成績

クラブ

[20][21]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
スウェーデン リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1994 ハルムスタッズ アルスヴェンスカン 1 0
1995 16 1
1996 20 2
1997 24 5
1998 18 2
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
1998-99 アーセナル プレミア 16 1 2 0 3 0 21 1
1999-00 26 6 0 0 2 0 28 6
2000-01 30 6 0 0 5 1 35 7
2001-02 25 12 0 0 5 2 30 14
2002-03 20 6 0 0 4 1 24 7
2003-04 30 4 0 0 4 4 34 8
2004-05 26 10 0 0 6 2 32 12
2005-06 25 1 1 0 1 0 27 1
2006-07 18 0 0 0 3 1 21 1
2007-08 ウェストハム 25 2 2 0 1 0 28 2
アメリカ リーグ戦 リーグ杯 USオープン杯 期間通算
2009 シアトル MLS 22 2
2010 15 0
2010 シカゴ 15 2
スコットランド リーグ戦 S・リーグ杯 スコティッシュ杯 期間通算
2010-11 セルティック プレミア 7 0 0 0 1 0 8 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2011 清水 21 J1 8 0 2 0
2012 9 0 0 0 0
インド リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2014 ムンバイ スーパー 4 0
通算 スウェーデン アルスヴェンスカン 79 10
イングランド プレミア 241 48 3 0 34 11 278 59
アメリカ MLS 52 4
スコットランド プレミア 7 0 0 0 1 0 8 0
日本 J1 8 0 2 0
インド スーパー 4 0
総通算 391 63

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 75試合 14得点(1998年-2008年)[22]


スウェーデン代表 国際Aマッチ
出場 得点
1998 6 1
1999 7 1
2000 8 0
2001 9 0
2002 5 0
2003 4 1
2004 10 4
2005 7 5
2006 8 1
2007 6 1
2008 5 0
通算 75 14

得点

得点 日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 1998年5月28日 マルメ  デンマーク 1-0 3-0 親善試合
2. 1999年3月31日 ホジューフ  ポーランド 1-0 1-0 UEFA EURO 2000予選
3. 2003年6月7日 セラヴァッレ  サンマリノ 0-3 0-6 UEFA EURO 2004予選
4. 2004年6月14日 リスボン  ブルガリア 1-0 5-0 UEFA EURO 2004
5. 2004年9月4日 タ・アーリ  マルタ 0-4 0-7 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
6. 0-6
7. 2004年10月9日 ストックホルム  ハンガリー 1-0 3-0
8. 2005年2月9日 パリ  フランス 0-1 1-1 親善試合
9. 2005年3月26日 ソフィア  ブルガリア 0-1 0-3 2006 FIFAワールドカップヨーロッパ予選
10. 0-3
11. 2005年6月4日 ヨーテボリ  マルタ 5-0 6-0
12. 2005年9月3日 ストックホルム  ブルガリア 1-0 3-0
13. 2006年6月15日 ベルリン  パラグアイ 1-0 1-0 2006 FIFAワールドカップ
14. 2007年10月13日 ファドゥーツ  リヒテンシュタイン 0-1 0-3 UEFA EURO 2008予選

監督成績

2019年12月15日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
アーセナル 2019年11月29日 2019年12月20日 5 1 2 2 020.00
合計 5 1 2 2 020.00

タイトル

クラブ

ハルムスタッドBK
アーセナルFC
シアトル・サウンダーズFC

個人

脚注

  1. ^ UEFA.com. “セルティック、短期契約でユングベリを獲得” (英語). UEFA.com. 2025年7月16日閲覧。
  2. ^ Ljungberg signs for S-Pulse
  3. ^ 清水大物MF獲得 34歳ユングベリ - J1ニュース”. nikkansports.com. 2025年7月16日閲覧。
  4. ^ Sebastián Abreu (2025年2月11日). “j88” (英語). 2025年7月16日閲覧。
  5. ^ 清水 ユングベリと正式契約!9・10磐田戦Jデビューへ - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2025年7月16日閲覧。
  6. ^ Freddie Ljungberg set for return as club's U15 coach”. Daily Mail.co.uk (2016年1月8日). 2019年12月3日閲覧。
  7. ^ VfL Wolfsburg: Fredrik Ljungberg wird Co-Trainer von Andries Jonker” (2017年2月27日). 2019年12月4日閲覧。
  8. ^ Ljungberg sad to leave Wolfsburg” (2017年9月19日). 2019年12月4日閲覧。
  9. ^ Arsenal legend Freddie Ljungberg seals return as U23 coach” (2018年6月12日). 2019年12月4日閲覧。
  10. ^ Freddie Ljungberg is appointed as Arsenal assistant coach” (2019年6月17日). 2019年12月4日閲覧。
  11. ^ Unai Emery leaves club” (2019年11月29日). 2019年12月4日閲覧。
  12. ^ Mikel Arteta joining as our new head coach” (2019年12月20日). 2019年12月27日閲覧。
  13. ^ Coaching team named” (2019年12月24日). 2019年12月27日閲覧。
  14. ^ Invincible Freddie leaves club” (2020年8月22日). 2020年8月23日閲覧。
  15. ^ フレドリック・ユングベリの履歴書【前編】スウェーデンからフットボールの母国へ
  16. ^ ユングベリのスピードを評価 3トップの一角でプレーか
  17. ^ Ljungberg to hang up his boxers”. Mail Online. 2025年7月16日閲覧。
  18. ^ 'I love clothes but I'm not gay'”. Mail Online. 2025年7月16日閲覧。
  19. ^ [アーセナル、覚醒の歴史]フレドリック・りゅんぐべり…“トサカ頭”の名ハードワーカー”. サッカーキング (2014年4月19日). 2017年3月30日閲覧。
  20. ^ Strack-Zimmermann, Benjamin. “Fredrik Ljungberg (Player)” (英語). www.national-football-teams.com. 2025年7月16日閲覧。
  21. ^ Fredrik Ljungberg | Football Stats | No Club | Season 1998/1999 | 1994-2011 | Soccer Base”. www.soccerbase.com. 2025年7月16日閲覧。
  22. ^ フレドリック・ユングベリ - National-Football-Teams.com

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フレドリック・ユングベリ」の関連用語

フレドリック・ユングベリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フレドリック・ユングベリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフレドリック・ユングベリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS