フレイヤとフォールクヴァング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:03 UTC 版)
「ワルキューレ」の記事における「フレイヤとフォールクヴァング」の解説
女神フレイヤと彼女が治める死後の領域フォールクヴァングもまた、ヴァルキュリャと関連していると論じられてきた。ブリット=マリ・ネイストレムは、フレイヤが「戦に馳せては死者の半分を連れ帰る」という『ギュルヴィたぶらかし』の記述に注目し、フォールクヴァングを「戦士の領域」と解釈している。ネイストレムは、フレイヤはオージンと同じく戦場で死んだ英雄たちを受け入れるとし、彼女の館セスルームニル(ネイストレムの解釈では「数多くの席に満ちたもの」の意)はヴァルホルと同様の機能を果たしている可能性があるとしている。ネイストレムは、「とはいえ、古代北欧ではなぜ死んだ英雄の楽園が2つあるのかという疑問は残る。一つの可能性としては、オージン側となるかフレイヤ側となるかは戦士のイニシエーションの形態の違いを反映しているのかもしれない。このような例が示しているのは、フレイヤは戦神であり、文字通り『死者を選ぶもの』たるヴァルキュリャとしても立ち現れるということである」と述べている。 アンドレ・ドバも、「斃れた戦士の半分を選んで死の国フォールクヴァングに連れて行くという神話上の役割をもつことで、女神フレイヤがヴァルキュリャないしディースの神話的見本として立ち現れている」と指摘している。
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