フレイムス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 07:47 UTC 版)
エリスはデュオ解散後も印刷会社で働いていたが、歌手になるという夢を諦めきれず、ある日オーディションを受けるため会社を無断欠勤してしまう。エリスはこれを理由に印刷会社を解雇されてしまったが、それを期に音楽活動にさらに没頭するようになる。1964年ごろエリスはジョン・ホルトとのデュオを結成し、ランディーズへ「ラム・バンパー ("Rum Bumper")」など数曲を残した。しかしホルトはパラゴンズの新メンバーとして引き抜かれてしまったため、エリスとホルトとのコンビは短命に終わった。そのためエリスは弟のレスリーと、友人のノエル・"スカリー"・シムズ、ベイビーG、ロニーと共に新しいグループ、アルトン・エリス&ザ・フレイムス (Alton Ellis & The Flames) を結成、同時にスタジオ・ワンからデューク・リードのトレジャー・アイルへとレーベルを移籍し、「ドント・トラブル・ピープル ("Don't Trouble People")」、「ダンス・クラッシャー ("Dance Crasher")」、「クライ・タフ ("Cry Tough")」といった楽曲を発表し、ヒットさせた。この時期のジャマイカの音楽業界では性急なテンポを特徴とする新たなジャンル・スカが誕生し、ウェイラーズやプリンス・バスター、デリック・モーガンによる攻撃的なルードボーイ賛歌が人気を博していたが、アルトン・エリス&フレイムスによる上記楽曲群は彼らとは対照的に平和とアンチ・ルードボーイを訴えたものだった。 なお、レーベル移籍によって心機一転を計ったエリスであったが、金銭的には不遇なままであった。
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