フランス及びバイエルン集団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 06:05 UTC 版)
「1101年の十字軍」の記事における「フランス及びバイエルン集団」の解説
ギヨーム2世らのヌヴェール集団がコンスタンティノープルを出てすぐ、また別の集団が到着した。指揮していたのはアキテーヌ公ギヨーム9世、ヴェルマンドワ伯ユーグ1世(彼も第1回十字軍に参加したものの途中で帰ってきた諸侯の一人だった)、バイエルン公ヴェルフ1世らだった。この軍団には、オーストリア辺境伯レオポルト2世の妻で、レオポルト3世の母でもあるイーダが同行していた。彼らも東ローマ帝国領を略奪し、それを阻止するために派遣されたペチェネグ人傭兵部隊とすんでのところで戦闘に入るところだった。この時はギヨーム9世とヴェルフ1世が釈明し事なきを得た。 コンスタンティノープルからは二手に分かれた。海路でレバントへ直接向かう集団の中には年代記作者アウラのエッケハルト(Ekkehard of Aura)がいた。もう一方は陸路アナトリア半島を横断にかかった。9月にヘラクレア・シビストラに到達した彼らも、先行のギヨーム2世の軍同様にクルチ・アルスラーン1世率いるセルジューク兵の待ち伏せにあって壊滅した。 ギヨーム9世とヴェルフ1世は逃れることができたが、ユーグ1世は致命傷を負い、タルススで10月18日に没した。オーストリアのイーダは混乱の中で行方不明となった。後の西洋の伝説では、彼女はトルコ人の捕虜となり、後に十字軍の強敵となるザンギーの母になったとされたが、西洋・ムスリム双方の年代記の研究などの結果からは否定されている。
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