フォロー・ザ・サン・ツアー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 20:37 UTC 版)
「イギー・ポップ」の記事における「フォロー・ザ・サン・ツアー」の解説
イギーはアリスタとの契約が終了するとツアー名からアルバムタイトル『パーティ』を外し、改めてフォロー・ザ・サン・ツアーと銘打ってツアーを続行した。このタイミングに合わせて、デヴィッド・ボウイの常連ギタリスト、カルロス・アロマー(英語版)がゲストとして参加した。このツアーのハイライトは1981年11月30日と12月1日にポンティアック・シルバードームで行われたスタジアムライブで、ローリング・ストーンズのサポートアクトとして参加した。この時のイギーのステージ衣装は、革ジャンにミニスカートという組み合わせで、ミニスカートの下は下着なしでストッキングを履いており、事実上、局部を露出した状態だった。この服装で観客を罵倒し始めたため、様々なものがステージ目掛けて投げつけられた。ステージが終了し、バンドがバックヤードに戻ると、プロモーターのビル・グレアム(英語版)は意外にも大喜びしていて、片付けたスタッフに作らせた投擲物のリストをイギーに示し、次にメインのローリング・ストーンズが控えているにも関わらず、イギーにステージへ戻ってそのリストを読み上げて「贈り物」のお礼を言おうとけしかけた。イギーはこれに応え、グレアムとともにステージに戻り「以下の贈り物に感謝する。」と述べた後、戸惑う観客たちに向けて雄叫びで合いの手を入れながら、リストに書かれた投擲物を1つ1つを読み上げた。それから1週間ほど後に、フォロー・ザ・サン・ツアーは終了し、イギーはニューヨークに戻った。乱痴気騒ぎのようなフォロー・ザ・サン・ツアーの状況をゲストのカルロス・アロマーや、クレム・バークは楽しんでいたが、ギタリストのゲイリー・ヴァレンタインはついていけず、ツアー終了後にバンドを離脱した。
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