フェリー出島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/19 01:50 UTC 版)
フェリー出島 | |
---|---|
![]() |
|
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | ![]() |
所有者 | 九州商船 船舶整備公団 |
運用者 | 九州商船 |
建造所 | 内海造船田熊工場[1] |
IMO番号 | 7374539 |
経歴 | |
起工 | 1973年 |
進水 | 1973年 |
竣工 | 1974年4月19日[1] |
就航 | 1974年4月26日[1] |
運航終了 | 2004年 |
要目 | |
総トン数 | 1,516 トン[1] |
全長 | 77.9 m[1] |
垂線間長 | 71.0 m[1] |
幅 | 13.6 m[1] |
深さ | 4.8 m[1] |
満載喫水 | 3.7 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | ダイハツディーゼル 8DSM-26 4基[1] |
推進器 | 2軸[1] |
出力 | 6,400馬力[1] |
最大速力 | 19.0 ノット[1] |
航海速力 | 17.3 ノット[1] |
旅客定員 | 702名[1] |
車両搭載数 | 8トントラック6台、乗用車30台[1] |
フェリー出島(フェリーでじま)は、かつて九州商船が運航していたフェリー。
概要
内海造船田熊工場で建造され、1974年4月26日に長崎 - 下五島航路に就航した[1]。
共有建造制度を利用して建造された船舶整備公団との共有船である[1]。
1984年、若狭丸の代船として鹿児島 - 種子島航路に転配された。
2004年12月11日、コスモラインのフェリー航路開設により航路廃止となり、引退した。
その後、海外売船され、インドネシアでスンダ海峡を横断する航路に就航している。
設計
![]() |
この節の加筆が望まれています。
|
先に建造されたフェリー五島よりやや大型化されていた。
事故・インシデント
客船との衝突
1976年6月21日、長崎港から福江港へ向かっていた本船は、長崎港へ向かっていた同じく九州商船の客船楓丸と五島灘で衝突した。事故発生当時、夜間で海上濃霧警報が発令されていたが、両船ともレーダーを使用していた[2]。
脚注
外部リンク
- MarineTraffic.com - KIRANA III - 自動船舶識別装置(AIS)による現在位置表示
フェリー出島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 08:56 UTC 版)
1974年竣工・就航、2004年退役。1,519総トン、全長77.9m、幅13.6m、出力6,400馬力、航海速力16.9ノット、旅客定員630名。内海造船田熊工場建造。
※この「フェリー出島」の解説は、「九州商船」の解説の一部です。
「フェリー出島」を含む「九州商船」の記事については、「九州商船」の概要を参照ください。
- フェリー出島のページへのリンク