フェラーリ設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:10 UTC 版)
「エンツォ・フェラーリ」の記事における「フェラーリ設立」の解説
社史についてはフェラーリ#沿革を参照 第二次世界大戦後の1947年に自社製レーシング・マシンを開発し、自動車製造会社としての「フェラーリ」を設立した。その後友人のルイジ・キネッティの勧めもあり、モータースポーツ参戦資金を稼ぐことを目的にレーシング・マシンをベースにした高級スポーツカーの販売も始めた。 スクーデリア・フェラーリは、1950年から始まったF1に参戦し、早くも1951年にはホセ・フロイラン・ゴンザレスが初優勝した。その後も古巣アルファロメオを破り活躍するなど、イタリアのナショナル・チーム的存在となった。以後スクーデリア・フェラーリのマシンは、F1やル・マン24時間レース、ミッレ・ミリア、タルガ・フローリオ、カレラ・パナメリカーナ・メヒコなどの第一線で輝かしい成績を残した。 「カヴァリーノ・ランパンテ(跳ね馬)」のエンブレムと真紅のナショナルカラーをまとった市販車も、その高い性能と美しいデザインで1950年代以降ヨーロッパ各国やアメリカ合衆国、日本や中東をはじめとする世界各国へその販路を広げ、王族や映画スター、大富豪などの愛用のブランドとして成長した。 このようにフェラーリは高い名声を勝ち取ったものの、過剰なモータースポーツへの投資や労使紛争、さらに1961年11月にはカルロ・キティら主要メンバーによるクーデターが勃発しカルロ・キティやジオット・ビッザリーニら役員8名がフェラーリを去るなどの事件が起きたことも影響し、1960年代初頭には経営が苦境に陥った。その後1963年にアメリカ合衆国のフォードとの間で買収交渉を進めたが、調印寸前で交渉は決裂した。
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