フィル・ブラッドリーとは? わかりやすく解説

フィル・ブラッドリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/14 08:23 UTC 版)

フィル・ブラッドリー
Phil Bradley
シアトル・マリナーズ時代
(1987年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州
生年月日 (1959-03-11) 1959年3月11日(66歳)
身長
体重
183 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1981年 MLBドラフト3巡目
初出場 MLB / 1983年9月2日
NPB / 1991年4月6日
最終出場 MLB / 1990年9月29日
NPB / 1991年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

フィリップ・プール・ブラッドリーPhilip Poole Bradley1959年3月11日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州出身のプロ野球選手外野手)。1983年から1991年までメジャーリーグ、日本の読売ジャイアンツでプレーした。

来歴・人物

ミズーリ大学時代、野球とアメリカンフットボールで活躍。1981年のジャパンボウルではクォーターバックとして来日している。

メジャーリーグに入った後はシアトル・マリナーズを中心に活躍。イチローに更新されるまではマリナーズの新人最高打率と最多盗塁記録も持っていた。また1988年1990年にはリーグ最多死球を記録した。

前年に退団したウォーレン・クロマティに代わり1991年に巨人の助っ人として入団。年俸は150万ドル(推定、当時のレートで約2億400万円)だった。開幕戦でいきなり初打席初本塁打を放ち、開幕以来14試合連続セーブの日本記録を更新中であった大野豊から逆転サヨナラホームランを放つなど、打率.282、21本塁打、70打点の成績を残す。

守備・走塁もクロマティ以上の実力を見せていたが、上記のサヨナラホームランの際にも「打順が7番に下げられて自分に腹が立っていたからお立ち台に挙げる気分になれなかった」ヒーローインタビューを拒否したほどの生真面目な性格と、明るい性格で盛り上げ役だったクロマティとの比較もあり、ファンからは「暗い性格」と受け取られる面もあった[1]

もともと1年契約であり、「日本の野球になじもうとしたけど、どうしてもダメだった」として球団側に退団の希望を申し入れ、球団も特に慰留をしなかったため、1年で帰国となった[2]。また日本でもリーグ最多死球を記録し、同年4月14日の広島戦で最後の登板となった津田恒実から死球を受けている。

1992年、大リーグ復帰を目指してモントリオール・エクスポズと契約したが出場は無かった。引退後、1994年にシカゴ・カブス傘下のルーキーリーグ監督を務めた後、現在は大リーグ選手会専務理事特別補佐を務めている。この活動の中で日本でのメジャーリーグ公式戦やワールド・ベースボール・クラシックの予選への視察で選手に同行する形で来日を6回行い、日本への理解を深め、「今の自分ならもう少し日本でプレーしたと思う」と振り返っている[1]

息子のカート・ブラッドリーも元野球選手(外野手)で、2006年にロサンゼルス・ドジャースからドラフト33巡目で指名されたが、翌2007年にルーキーリーグで20試合の出場にとどまった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1983 SEA 23 77 67 8 18 2 0 0 20 5 3 1 1 1 8 0 0 5 0 .269 .342 .299 .641
1984 124 370 322 49 97 12 4 0 117 24 21 8 11 0 34 2 3 61 6 .301 .373 .363 .737
1985 159 714 641 100 192 33 8 26 319 88 22 9 4 2 55 4 12 129 14 .300 .365 .498 .862
1986 143 614 526 88 163 27 4 12 234 50 21 12 1 2 77 1 8 134 9 .310 .405 .445 .849
1987 158 701 603 101 179 38 10 14 279 67 40 10 1 5 84 2 8 119 18 .297 .387 .463 .850
1988 PHI 154 648 569 77 150 30 5 11 223 56 11 9 3 6 54 0 16 106 11 .264 .341 .392 .733
1989 BAL 144 630 545 83 151 23 10 11 227 55 20 6 4 4 70 4 7 103 12 .277 .364 .417 .781
1990 72 333 289 39 78 9 1 4 101 26 10 4 6 1 30 2 7 35 9 .270 .352 .349 .701
CWS 45 162 133 20 30 5 1 0 37 5 7 3 5 0 20 3 4 26 2 .226 .344 .278 .622
'90計 117 495 422 59 108 14 2 4 138 31 17 7 11 1 50 5 11 61 11 .256 .349 .327 .676
1991 巨人 121 502 440 67 124 19 5 21 216 70 2 6 2 0 46 1 14 68 14 .282 .368 .491 .859
MLB:8年 1022 4249 3695 565 1058 179 43 78 1557 376 155 62 36 21 432 18 65 718 81 .286 .369 .421 .790
NPB:1年 121 502 440 67 124 19 5 21 216 70 2 6 2 0 46 1 14 68 14 .282 .368 .491 .859
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

MLB
NPB

背番号

  • 2 (1991年)

脚注

  1. ^ a b 元巨人・ブラッドリー、第二の人生で深まった日本球界への理解 - 週刊ベースボールONLINE、ベースボール・マガジン社2016年5月11日、12:00配信。
  2. ^ 1991年9月28日読売新聞19面

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ムース・ハース  サム・トンプソン  フィル・ブラッドリー  スコット・アッチソン  カート・スズキ
読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 松本匡史  吉武真太郎  フィル・ブラッドリー  藤岡寛生  堀場英孝
ボルチモア・オリオールズの選手 ジェイク・アリエータ  フィル・ブラッドリー  ジェフ・マント  コーリー・パターソン  ジョー・ルーツ
シカゴ・ホワイトソックスの選手 フィル・ブラッドリー  クリス・ゲッツ  ダグ・ドレイベック  マイク・アンドリュース  ティム・レインズ
フィラデルフィア・フィリーズの選手 サム・トンプソン  フィル・ブラッドリー  ボビー・アブレイユ  ジェフ・マント  ライン・サンドバーグ
シアトル・マリナーズの選手 フィル・ブラッドリー  スコット・アッチソン  ジェフ・マント  ブライアン・スウィーニー  トーリ・ロブロ

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