ピカチョ峠の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:42 UTC 版)
「太平洋岸戦線 (南北戦争)」の記事における「ピカチョ峠の戦い」の解説
4月15日、北軍第1カリフォルニア騎兵隊のジェイムズ・バーレット中尉に率いられた12名の騎兵と1人の斥候がピカチョ峠辺りを探索して近くにいると報告されていた南軍を探していた。バーレットは南軍とは交戦せず、主力部隊が来るのを待つよう命令されていた。しかしその偵察隊は3人の南軍歩哨を急襲し捕まえた。その銃火を開く前に他に7名の南軍兵がいるのを見落としていた。それに続く流血の小競り合いでバーレットと他に2名が戦死し3名が負傷した。ウィリアム・P・キャロウェイ大尉が率いる主力部隊が到着するのを待たなかったという誤りは別にして、バーレットは藪の中に隠れていた南軍兵に騎兵突撃を命じるという誤りを犯した。北軍の騎兵は容易な目標になった。約90分間も続いた活発な交戦の後で両軍共に戦場から退いた。 南軍のカリフォルニア州南部の同調者に影響を及ぼし太平洋への道を開くという目標は実現されなかった。ピカチョ峠の小競り合い自体は周辺の出来事の中で小さな要素に過ぎないが、南軍による西部への最高到達点と考えられる。同じ頃、南軍の遥かに大きな部隊がニューメキシコのサンタフェから北へ進出するという試み(ニューメキシコ作戦)がグロリエタの戦い(3月26日-28日)で挫折させられ、7月までに南軍はテキサス州まで撤退した。
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