ビッグ・スティンクとは? わかりやすく解説

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ビッグ・スティンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 14:19 UTC 版)

ビッグ・スティンク(英語: Big Stinkは、1945 年8月9日の長崎市への原子爆弾投下に参加したアメリカ陸軍航空隊ボーイング B-29-40-MO スーパーフォートレス爆撃機 (B-29爆撃機、機体番号44-27354、ビクター番号 90) である[注釈 1]

解説

第509混成部隊の第 393 爆撃戦隊に配属され、爆弾を積んだ B-29爆撃機ボックスカーを支援するカメラ機として使用され、爆弾の爆発と効果を撮影し、科学観測員[注釈 2]も運んだ。

この作戦では C-14 の乗組員[注釈 3]によって飛行されたが、グループ作戦責任者のジェームズ I. ホプキンス ジュニア (James I. Hopkins, Jr.) 少佐[2][注釈 4]が機長を務めた。

離陸直前、ホプキンス少佐はプロジェクト アルバータの理論物理学者ロバート・サーバーが各自装着用のパラシュートを忘れていたため飛行機から降りるよう命じた。そして、彼を乗せずに出発した。

サーバーは高速カメラの操作方法を知っていた唯一の乗組員だったため、テニアン島の基地からホプキンスへ無線でその使い方を指示した。 合流地点である屋久島上空で3機が集合し、攻撃始点の姫島へ向かう計画であったが、攻撃飛行隊2機はこの飛行機ビッグ・スティンクと合流できず、カメラなしで攻撃始点へ向かった。第1攻撃目標だった小倉は雲で覆われていたため、第2目標である長崎市へ変更し、日本時間11時2分にプルトニウム原子爆弾ファットマンを長崎市上空で爆発させた。

爆撃機ビッグ・スティンクは2機とは合流できなかったが、小倉へ向かい、上空が雲で覆われ、爆撃の跡もなかったためその後長崎市へ向かった。偶然にも爆風の影響を撮影するのに間に合うように長崎市に到着した。

その後沖縄読谷飛行場でB-29ボックスカーとB-29グレート・アーティストと合流し、給油後テニアン基地へもどった。

戦後、機体は、「デイブの夢、デイブズ・ドリーム(Dave's Dream)」と改名された。

日本へのパンプキン爆弾投下

1945年7月20日、アメリカはこの日初めて敵国日本本土へのパンプキン爆弾の投下を実施した。15機のシルバープレートのうち10機がテニアン島北飛行場[注釈 5]から出撃して日本へ向かった。パンプキン爆弾による攻撃は、終戦前日の8月14日まで続いた。このうち、ビッグ・スティンクは2回の爆弾投下に関係した。

7月20日

機体番号44-27354 ビッグ・スティンク[注釈 6][7]は、新潟県長岡市の津上安宅製作所(つがみあたぎ せいさくしょ)を目標とした。レーダーを使用して投弾。

被弾地は、長岡市左近町、当時は古志上組村左近の畑の中[注釈 7]。この爆撃によって4人が死去、5人が負傷した[9][注釈 8]。全壊家屋2戸、大きな損壊を29戸が受けた[11]

7月26日

1945年7月26日、この日は10機が出撃した。機体番号44-27354 ビッグ・スティンクは、津上安宅製作所を第1目標としたが、雲で覆われていたために、日立上空に移動し、茨城県日立市の日立製作所山手事業所(原文では日立精銅所)[12]を目視で投弾した[13]。死者3人[14]。爆発の瞬間を上空から撮影した写真がある[15]。爆発によってできたクレーター写真もある[16]

広島原爆

1945年8月6日、緊急の場合に備えて硫黄島に飛行[17]して待機した。しかし、呼び出されることはなかった[18]

クルーはB-8、機長は、チャールズ F. マックナイト中尉(1st Lt. Charles F. McKnight, airplane commander)であった[注釈 9]

脚注

注釈

  1. ^ 15機のB-29爆撃機が原子爆弾を搭載できるように改造され、シルバープレートと呼ばれた。識別できるように機体の前方と胴体部分に勝利者番号として表示された。
  2. ^ プロジェクト アルバータの一員としてイギリスから派遣されたウィリアム・ペニーとイギリスのチャーチル首相からアメリカが開発した新型爆弾(原子爆弾)を調査するように命令を受けたレナード・チェシャーである。
  3. ^ 15組のクルー(搭乗員グループ)が編成された[1]。そして疑似原子爆弾であるパンプキン爆弾の投下訓練などを行った。
  4. ^ 1951年、アメリカからイギリスへ移動するために搭乗していた飛行機が大西洋上で墜落して死去(1918年-1951年、享年32)。アメリカに妻、娘(パトリシア L. ホプキンス)[3]、息子(ジェームズ K. ホプキンス)が残された。息子は成長し大学教授になった[4][5]
  5. ^ もとはハゴイ飛行場。「ノース・フィールド飛行場(英語:North Field)」ともいう。
  6. ^ このときのクルーはA-5。機長は、トーマス・クラッセンThomas J. Classenだった[6]
  7. ^ この場所に「模擬原子爆弾投下地点跡地」の碑がある[8]。 
  8. ^ 上空から撮影された投弾前後の写真が掲載されている[10] 
  9. ^ 通常、クルー B-8は、トップシークレット(Top Secret)を操縦するメンバーであった。8月9日、長崎原爆ではクルー B-8のメンバーと機長は、長崎の気象観測機 ラッギン・ドラゴンを操縦した。

出典

  1. ^ Campbell 2005, pp. 119–142.
  2. ^ James Iredell Hopkins - Find a Grave(英語)
  3. ^ Patricia Lynne Hopkins - Find a Grave(英語)
  4. ^ SMU(英語: Southern Methodist University)サザンメソジスト大学 (2015年8月7日). “My father was 26 when he helped drop the bomb” [父が長崎市への原子爆弾投下を手伝ったのは26歳のときだった] (英語). https://www.smu.edu. SMU. 2025年1月2日閲覧。
  5. ^ SMU(サザンメソジスト大学) (2015年). “James K. Hopkins” [ジェームス K. ホプキンス] (英語). SMU. 2025年1月2日閲覧。
  6. ^ Atomic Heritage Foundation (2022年). “Thomas J. Classen” [トーマス J. クラッセン] (英語). https://ahf.nuclearmuseum.org/. Nuclear Museum. 2025年1月6日閲覧。
  7. ^ col Thomas John Classen - Find a Grave(英語)
  8. ^ Google Maps – 模擬原子爆弾投下地点の碑 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2025年1月6日閲覧
  9. ^ 工藤洋三 & 金子力 2013, pp. 200–201.
  10. ^ 工藤洋三 & 金子力 2013, pp. 44–45.
  11. ^ 長岡市役所 (2023年7月21日). “長岡空襲関連史跡 ①模擬原子爆弾投下地点跡地の碑(左近町、永代橋付近)”. =https://www.city.nagaoka.niigata.jp/. 長岡市役所. 2025年1月4日閲覧。
  12. ^ 「日立銅精錬」とも表記される。日立市白銀町。
  13. ^ Google Maps – 日立製作所山手工場正門前道路 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2025年1月6日閲覧
  14. ^ 工藤洋三 & 金子力 2013, pp. 202–203.
  15. ^ 工藤洋三 & 金子力 2013, p. 86.
  16. ^ 工藤洋三 & 金子力 2013, p. 87.
  17. ^ マリアナ時間2:50(日本時間1:50) 離陸、硫黄島へ向かう。
  18. ^ マリアナ時間15:45(日本時間14:45)作戦が終わって、テニアンへ帰着。

関連項目

参考文献

  • Campbell, Richard H. (2005). The Silverplate Bombers: A History and Registry of the Enola Gay and Other B-29's Configured to Carry Atomic Bombs. Jefferson, North Carolina: McFarland & Company, Inc.. ISBN 978-0-7864-2139-8 
  • 工藤洋三、金子 力『原爆投下部隊 第509混成群団と原爆・パンプキン』2013年8月1日。 ISBN 978-4-9907248-1-8 

外部リンク

  • Hoover Institution Library & Archives が 2018/06/05 公開。 Motion picture film(広島原爆・長崎原爆に関連する動画映像) Harold Agnew Atomic Bomb film - YouTube



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