ビショップに影響をもたらしたもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:07 UTC 版)
「エリザベス・ビショップ」の記事における「ビショップに影響をもたらしたもの」の解説
ビショップはマリアン・ムーアの影響を強く受けている。1934年、ヴァッサー大学の図書館員を通じてビショップと出会ったムーアは、ビショップの作品に強い関心を持ち、たったひとつ、ビショップの卒業後の進路を思いとどまらせようとした。ビショップはヴァッサー大学を卒業したあとにニューヨークへ行き、コーネル薬学学校に入学しようと考えていた。ムーアとの出会いはビショップが「親愛なるミス・ムーア」の代わりに「親愛なるマリリン」、と書くようになる4年前のことだった。二人の友情は1972年にムーアが亡くなるまで続き、多くの往復書簡が残された。(『One Art』を参照)。ビショップの作品「At the Fishhouses"」(1955)には、1924年に書かれたムーアの作品「A Grave.」をふまえたいくつかの隠喩が含まれている。 ランドール・ジャレルからロバート・ローウェルを紹介されたのは1947年のことだった。ビショップとローウェルは深い交友関係を結び、ローウェルが亡くなる1977年まで続いた。たいていは手紙のやり取りによるものだった。ローウェルの死後、「わたしたちの友情は、時によっては何年もの間手紙のやりとりだけで続いていたけれども、常に愛情深いもので、私はいつも深い感謝の念を彼に持っていた。」とビショップは書いている。二人の作風はそれぞれに影響を受けており、ローウェルは『スカンクの時間』がビショップの『アルマジロ』をモデルにしたことを明らかにしている。ローウェルは『叫び』についても「ビショップの短編『In the Village』から派生している」と書いている。ビショップが生涯の最後に発表した何編かの詩のひとつ「ノースヘイブン」は1978年に書かれたローウェルの追悼詩である。
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