ヒスパニアにおける敗退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:08 UTC 版)
「ゲサリック」の記事における「ヒスパニアにおける敗退」の解説
507年から508年にかけ、フランク族とブルグント族はトゥールーズの西ゴート王国を占領した。フランク族はトゥールーズを陥落させ火を放った。クローヴィス1世の同盟者であるブルグント族はナルボンヌを落とした。ロデーズ、ベジエ、カルカソンヌもフランク族に落とされた。 東ゴートの支援を受けて、セプティマニア全土を手中に収めようとするフランク族とブルグント族の進軍を徐々に緩めさせ、ナルボンヌに西ゴートの首都を置いた。しかしイタリアにいたテオドリックは、孫を王位につける準備を進め、いまだガリア・ナルボネンシスの領域を支配する西ゴート王国を救うつもりだった。ガリア・ナルボネンシスは、ナルボンヌ、アルル、マルセイユといった主要都市を抱えるセプティマニア、プロヴァンスといった国を含んでいたからである。 ブルグント王グンデバルドは、ゲサリックが宮廷を置いていたナルボンヌを包囲した。聖イシドールスが『大いなる恥辱を持って、そしてゲサリックの戦士たちが大量虐殺されて』と述べたように、首都は失われた。ゲサリックはバルセロナに移って宮廷を開いた。 軍はフランク族とブルグント族の国境であるローヌ川とアルルを包囲した。アルルの町はカトリックの司教聖セサリウスの裏切りに関わらず、誰の手も借りずに西ゴート軍に抵抗した。東ゴート王テオドリックは、孫アマラリックの領土とみなすアルルの救援にやってきた。テオドリック配下のイッバスがアルルを解放した。この戦いの結果、カルカソンヌを包囲していたクロヴィス1世が退却した。 フランク族、ブルグント族との和平が達成されると、イッバスはゲサリックのいるバルセロナへ向かった。
※この「ヒスパニアにおける敗退」の解説は、「ゲサリック」の解説の一部です。
「ヒスパニアにおける敗退」を含む「ゲサリック」の記事については、「ゲサリック」の概要を参照ください。
- ヒスパニアにおける敗退のページへのリンク