パンフレット出版から書店の開業へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 15:22 UTC 版)
「ジョン・アーモン」の記事における「パンフレット出版から書店の開業へ」の解説
アーモンは国王ジョージ2世の死後にその治世に関する論評(A Review of his late Majesty's Reign)を著し、1761年10月に大ピットが辞任した後には大ピット内閣の論評(A Review of Mr. Pitt's Administration)を著した。これらの論評により野党の大物政治家から注目され、第2代テンプル伯爵リチャード・グレンヴィル=テンプルは即座にアーモンを後援、エドマンド・バークなどの野党議員もアーモンの裁量を信用するようになった。これによりアーモンは『ガゼッティア』への寄稿をやめ、ピカデリーで店を開業して書物やパンフレットを販売した。アーモンの店はザ・コテリー(The Coterie、野党のクラブ)の指定書店に指名され、名声が高まるとともに大いに繁盛した。また、野党からのパンフレット出版依頼もあり、その費用が先払いで支払われた上、アーモンがパンフレット出版で得た収益を全額懐に収めることを許可されたため、アーモンは財産を積み上げた。
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