パク・チュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:16 UTC 版)
1978年に海外遠征先のロサンゼルスで、ミスター・イトーこと上田馬之助と組んでNWAアメリカス・タッグ王座を獲得したことがある。これが、後に何度も起こる上田とタイガー・ジェット・シンの仲間割れの最初の原因とされた。なお、同時期にLAをサーキットしていたロディ・パイパーは移動の際に、木村の運転するレンタカーをよく利用していた。 この当時のロサンゼルス地区(NWAハリウッド・レスリング)では、日本での所属団体に関わらないマッチメイクが行なわれており、7月7日のオリンピック・オーディトリアムの興行では、木村はミル・マスカラスと、上田はプリンス・トンガと対戦している。なお、アメリカやメキシコに遠征していた際のリングネームは「パク・チュー」であった。パク・チュー時代には大ヒールとして悪の限りを尽くす凄まじい暴れっぷりで、かつてからの日本人ヒール随一の人気を誇り、メキシコファンを震撼させた。ルチャリブレの試合が嫌いだったこととメキシコ人が嫌いだったこともあり、現地の神様的存在のエル・サントとの試合後、「ふざけた試合しやがって!!」とサントの控室に乗り込もうとするが、佐山サトルに「マズイですよ」と止められたというエピソードがある[要出典]。
※この「パク・チュー」の解説は、「木村健悟」の解説の一部です。
「パク・チュー」を含む「木村健悟」の記事については、「木村健悟」の概要を参照ください。
- パク・チューのページへのリンク