バングラデシュの独立
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「ベンガル語国語化運動」の記事における「バングラデシュの独立」の解説
詳細は「バングラデシュ解放戦争」を参照 1956年までに公用語の問題は片付いたものの、アユーブの軍事政権は東パキスタンを犠牲にして西パキスタンの利益を促進した。国の人口の多数派を形成しているにもかかわらず、公務員や軍人での東パキスタンの国民の数は少ないままであり、国の予算や他の政府の助けは西よりも少なかった。これは主に、芽生えたばかりの国家に代議政治が欠如していることが原因であった。主に地域間の経済的不均衡によって地域間の分断が広がり、ベンガル民族主義政党アワミ連盟への支持が拡大した。こういった状況から、大きな州自治のための六点運動が起きた。1つの要求は東パキスタンを「バングラデシュ」(ベンガルの土地/国)と呼ぶことであり、これが後にバングラデシュ解放戦争につながった。
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