ハーバード・カレッジとロクスベリー・ラテン学校の設立
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「トマス・ダドリー」の記事における「ハーバード・カレッジとロクスベリー・ラテン学校の設立」の解説
1637年、植民地は「ニュータウンで新しいカレッジに秩序を与える」委員会を設立した。この委員会はダドリーを含み、植民地の長老の大半で構成された。1638年、子供のいない開拓者であるジョン・ハーバードが植民地に、その蔵書と資産の半分をカレッジのために使うこととして遺贈した。それがその栄誉を称えてハーバード・カレッジと名付けられた。1642年にカレッジの最初の認証が与えられ、第2の認証は1650年に発行されたが、それに署名したのが当時総督だったダドリーだった。ダドリーは長年カレッジの監督者の一人も務めていた。ハーバード大学のダドリー・ハウスは、実際の家屋が壊された後にレーマン・ホールにある管理施設に過ぎないが、ダドリー家にちなんで名付けられている。ハーバード・ヤードには以前ダドリーの娘アンが書いた言葉を印したダドリーゲイトがあった。1940年代に壊され、そこにラモン図書館が造られた。 1643年、ジョン・エリオット牧師がロクスベリーに学校を設立した。当時ロクスベリーに住んでいたダドリーはその学校にかなりの土地と金を寄付した。それが今日、ロクスベリー・ラテン学校として残っている。
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