ハイ・フライヤーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 06:27 UTC 版)
「グレッグ・ガニア」の記事における「ハイ・フライヤーズ」の解説
1976年、同期のジム・ブランゼルとハイ・フライヤーズ(The High Flyers)を結成し、1977年7月7日にブラックジャック・ランザ&ボビー・ダンカンからAWA世界タッグ王座を奪取。以降、バリアント・ブラザーズ(ジミー・バリアント&ジョニー・バリアント)やブロンド・ボンバーズ(レイ・スティーブンス&パット・パターソン)などのチームを相手に長期政権を築くが、1978年9月にブランゼルが負傷し防衛戦を行えなくなったことにより王座を剥奪された。 以降はシングルプレイヤーとしての活動を続け、ニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に再三挑戦。また、当時バーン・ガニアと良好な提携関係を結んでいたビンス・マクマホン・シニアのWWFにもゲスト参戦し、1980年4月21日のMSG定期戦ではカルロス・ホセ・エストラーダに勝利。同年8月9日にニューヨークのシェイ・スタジアムで行われたビッグ・イベント "Showdown at Shea" にも出場している。 1981年からはAWAに復帰したブランゼルとハイ・フライヤーズを再結成。同年6月14日、イースト・ウエスト・コネクション(ジェシー・ベンチュラ&アドリアン・アドニス)を破りAWA世界タッグ王座に返り咲く。以降1983年6月26日にザ・シークス(シーク・アヤトーラ・ブラックウェル&ローレンス・オブ・アラビア)に敗れるまで、2年間に渡ってタイトルを保持した。 この間の1982年5月末、AWA世界タッグ王者チームとしてブランゼルと共に全日本プロレスに参戦。6月8日に蔵前国技館にてリッキー・スティムボート&大仁田厚を相手に防衛戦を行っている。王座陥落後の1984年4月にもブランゼルとのハイ・フライヤーズで全日本に再来日し、PWF世界タッグ王座の決定リーグ戦に出場した。この来日時には、4月19日に郡山にてジャンボ鶴田のAWA世界ヘビー級王座(同年2月にニック・ボックウィンクルを破り戴冠)にも挑戦している。
※この「ハイ・フライヤーズ」の解説は、「グレッグ・ガニア」の解説の一部です。
「ハイ・フライヤーズ」を含む「グレッグ・ガニア」の記事については、「グレッグ・ガニア」の概要を参照ください。
- ハイ・フライヤーズのページへのリンク