ハインリヒ・クロージング
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「デュケインのスパイ網」の記事における「ハインリヒ・クロージング」の解説
ハインリヒ・クロージング(Heinrich Clausing)は1933年9月に渡米し、1938年に市民権を取得した。彼は渡米以来、ニューヨーク港を拠点に様々な船舶に勤務しており、逮捕時には客船アルゼンチン号(SS Argentine)の料理人として働いていた。 彼はスパイ網の主要な連絡員の1人であるフランツ・スティグラーと親しい関係にあり、彼自身は密使に近い任務を与えられていた。彼の任務はマイクロフィルムなど各種資材をアメリカから南米に送ることであった。これらの資材は南米からイタリアの航空会社を経由してドイツ本国へと送られた。また、南米には連絡用の私書箱を設置しており、連絡用の郵便物では「カルロス」(Carlos)という名前を使っていた。なお、彼はスパイ活動に対する報酬を受け取ってはいない。 クロージングはスパイ法違反について8年、外国代理人登録法違反について2年の懲役が言い渡された。
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