ニコライ・ギャウロフとは? わかりやすく解説

ニコライ・ギャウロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 06:15 UTC 版)

ニコライ・ギャウロフブルガリア語: Николай Гяуров, ラテン文字転写: Nicolai Ghiaurov, Nikolaj Gjaurov, 1929年9月13日 - 2004年6月2日)は、ブルガリア出身のオペラ歌手バス)。

戦後最高のバス歌手の一人とされ、広い音域で深みのある声を持ち、知的でよくコントロールした歌唱を聴かせた。バルカン系バス特有の癖が少なく、スラヴ・オペラ、イタリア・オペラ、フランス・オペラ、モーツァルト作品までまったく違和感のない歌唱を聴かせる。レコード録音でも『ボリス・ゴドゥノフ』『シモン・ボッカネグラ』『ドン・ジョヴァンニ』など数多くの作品を記録している。

生涯

ブルガリア王国ヴェリングラードで生まれ、ソフィア音楽院でクリスト・ブランバロフに、さらにレニングラード音楽院およびモスクワ音楽院でも学ぶ。

ワルシャワ1955年のパリ国際音楽コンクールで優勝し、同年ソフィアの歌劇場でパイジェッロの『セビリアの理髪師』のドン・バジリーオを歌いデビューした。翌年ウィーンで『アイーダ』のランフィスを歌い成功、翌1958年にはボリショイ劇場メフィストフェレスグノーの『ファウスト』)やピーメン(ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』)を歌い注目を集めるとともに、イタリアでもボローニャ歌劇場でバジーリオを歌いデビューした。翌年、『ボリス・ゴドゥノフ』でミラノ・スカラ座に出演、1962年にはコヴェント・ガーデン1965年にはメトロポリタン歌劇場にもデビューし、さらにウィーン、パリ・オペラ座ザルツブルク音楽祭などに次々と出演して、様々な歌手や指揮者との活躍の場を広げていった。

日本には1973年の第7次NHKイタリア歌劇団公演の『ファウスト』でメフィストフェレスを歌い、続く第8次NHKイタリア歌劇団でも『シモン・ボッカネグラ』のフィエスコを歌った。また1981年のミラノ・スカラ座の公演では『シモン・ボッカネグラ』のフィエスコを演じ、シモンを歌うピエロ・カップチッリとの熱い競演を見せた。

最初の妻でピアニストのズラティーナ・ミシャコワと離婚後、イタリアの名ソプラノ歌手ミレッラ・フレーニと再婚し、2人でしばしば揃って劇場やレコード録音に登場していた。

2004年1月には、デビュー役であるドン・バジーリオをヴェネツィアで歌っている。同年5月、心臓発作に襲われ、自宅のある(フレーニの生まれ故郷)モデナ近郊の病院に入院していたが、6月2日に死去した。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニコライ・ギャウロフ」の関連用語

ニコライ・ギャウロフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニコライ・ギャウロフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニコライ・ギャウロフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS