ニコライ・クイビシェフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 軍人・軍事関係者 > ソビエト連邦の軍人 > ニコライ・クイビシェフの意味・解説 

ニコライ・クイビシェフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 07:09 UTC 版)

ニコライ・ウラジーミロヴィチ・クイビシェフロシア語: Николай Владимирович Куйбышев, 1893年12月13日 - 1938年8月1日)は、ソ連軍人。軍団長。ヴァレリヤン・クイビシェフの弟。

経歴

1914年、アレクサンドル軍事学校を卒業。第一次世界大戦に従軍し、大尉、大隊長まで登りつめた。1917年、連隊委員会議長。

1918年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)に入党。同年6月から最高軍事監察局員。1919年1月から旅団政治委員、同年10月から旅団長。1920年1月、第9狙撃師団長。1921年から軍団長。ロシア内戦中、4個の赤旗勲章を授与された。この後、兄の庇護の下、出世を遂げることとなる。

1922年、高等学術課程を修了。1922年~1923年、クロンシュタットの警備司令兼政治委員を務め、反ソ分子の粛清を指導した。1923年、高等狙撃学校「ヴィストレル」学校長。1925年、トルケスタン戦線司令官、その後、軍団長。1927年~1928年、労農赤軍指揮局長兼モスクワ軍管区司令官補佐官。1928年、シベリア軍管区司令官、1937年、ザカフカーズ軍管区司令官。この間、中央委員会附属党監督委員会委員も務める。1937年、ソ連最高会議代議員に選出。

1938年2月2日、ミハイル・トゥハチェフスキーヴィタリー・プリマコフ、ボリス・フェリドマンの「証言」に基づき逮捕され、反ソ、トロツキスト、軍事ファシストの陰謀への参加、ドイツポーランド日本リトアニアスパイであることを「自白」した。8月1日、死刑を言い渡され銃殺。

1956年、名誉回復。

参考

  • "Империя Сталина. Биографический энциклопедический словарь", Залесский К.А., Москва, Вече, 2000




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニコライ・クイビシェフ」の関連用語

ニコライ・クイビシェフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニコライ・クイビシェフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニコライ・クイビシェフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS