ナポレオン戦争とリオデジャネイロ遷都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 08:04 UTC 版)
「ブラガンサ王朝」の記事における「ナポレオン戦争とリオデジャネイロ遷都」の解説
19世紀初頭はナポレオン戦争の時代であった。1806年に出された大陸封鎖令をポルトガルが1807年に拒否したことで、ナポレオン1世のフランス軍侵攻を受け、重大な危機に立たされるのである(半島戦争)。ジュノー将軍率いるフランス軍のリスボン入城を目前にして、ポルトガル宮廷は植民地ブラジルへの退避を決意する。当時王位にあったマリア1世は高齢の上に精神に異常をきたしていたので、実質的には王太子で摂政のドン・ジョアン(ジョアン6世、後にブラジルで即位)が差配していた。1807年11月、宮廷は目ぼしい財宝と15,000人の貴族、役人、兵士を率いて乗船し、英国艦隊の護衛の下、ブラジルに向かった。ヨーロッパ史上空前の新大陸遷都である。苦しい2ヶ月の航海の末、艦隊は翌年1月ブラジルのバイアに到着し、さらに3月にはリオデジャネイロに転じて、この地を首都とする。ブラガンサ王朝のリオ滞在は1821年まで13年に及んだ。1815年にはポルトガルとブラジルを同格の王国としてポルトガル・ブラジル連合王国が成立した。
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