ナオジョテの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/02 15:07 UTC 版)
ザラスシュトラも布教を行っていたように、ゾロアスター教も元々は外部からの改宗を認めていた。ゾロアスター教が布教をやめたのは、イラン帝国(ペルシア帝国)が興り、メソポタミアやシリア、エジプトなど巨大な文明・文化・人口を持つ勢力を支配下に置き、間近に接するようになってイラン人(ペルシャ人)がアイデンティティの危機を感じるようになってからだとされる。イラン系の家系か、イランの土地に生まれたか、ゾロアスター教徒か、このどれかを満たすことで漠然と「イラン人・ペルシャ人」とみなされていたのが、強力な異文化・異民族に触れることで揺るがされ、血・土地・言語・宗教、これら全てを満たすことが「イラン人・ペルシャ人」の条件とされ、固定化され、他宗教からの改宗という形でゾロアスター教徒が増えることも表向きは無くなった。 サーサーン朝がイスラム教勢力によって打ち倒されると、世界宗教としてのゾロアスター教の教勢は大きく失われた。 ササン朝滅亡以後の事情については不明な点が多いが、ナオジョテが発展・確立したのはササン朝の衰退期・混乱期と考えられている。現在伝わるナオジョテで重要な位置を占める信仰告白も、ササン朝以前には存在していなかった。ゾロアスター教信仰が危機にさらされる時代にあって、宗教と信仰を存続させるための努力としてナオジョテは整備され、完成した。
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